死んだほうがマシだと思っていた不登校の日々が、まさか誰かの役に立つ経験になるとは……。
「実は、うちの息子が田中さんと同じことを言っていたんです」
教室へ入会希望の保護者さんと面談しているときだった。
「ブログで、書かれていたでしょ? うちの子がそれと同じことを言っていて、これは田中さんに聞かないと! と思って、ご連絡させていただいたのです」
その話を聞き、僕は17年ほど前、自分の高校時代を思い出していた。
野球部を逃げ出し、高校へ行かなくなった頃。
空を眺め、「なにをしようか?」と、ずっと悩んでいた。
それまで、ずっと自分はプロ野球選手になるんだと信じて疑わなかった。
中学の時、ほとんどの時間は野球の練習に充てていた。
「プロ野球選手」という目標を胸に、高校へ入学。
しかし、周りのスゴい人たちの前に、僕の弱い心は折れ、現実から逃げ出した。
失敗すること、挫折するのが怖かった。
下手くそな自分を受け容れることができず、僕は逃げたのだ。
野球だけだった生活から野球がなくなり、僕はすることがなくなった。
大好きだったプロ野球も見ることができず、僕は野球からとことん距離をとった。
見たくなかった。
いや、見ることができなかった。
野球を見る資格すらなかった。
毎日、野球の練習をしている夢で目を覚ました。
野球を辞めた現実を悔いながら、空虚な毎日がはじまる。
野球をとった今、僕にはすることがなにもなかった。
学校にも行きたくなかった。
「なにかをしなくちゃ」と思うものの、なにをしたらいいのかわからない。
今まで充実していた毎日とはうって代わり、生きているのか死んでいるのかもわからないように、ただダラダラと毎日は過ぎていった。
鉛を飲み込んだように体は重く、毎日吐き気を感じていた。
とにかく、夢中になるものが欲しかった。
必死でやれるもの。
全てを忘れさせてくれるような、血がたぎるものを見つけたかった。
野球から逃げ、学校へ行っていない自分に劣等感を感じていた。
「自分は、なんてダメなやつなんだ……」と、思っていた。
劣等感を振り払うには、なにか没頭できるものが必要だった。
「自分は、今これをやっているんだ!」というものが必要だったのだ。
英語検定や漢字検定を受けようと思ったこともある。
“とりあえず、ガンバってみるもの”を決めて、取り組んだものの、モチベーションは続かなかった。
「なにかしよう」
「なにかしなきゃ」
気持ちばかりがあせる。
危機感は、次第に強迫観念へと変わっていった。
「このまま、なにもせず、自分の人生は終わってしまうのではないか?」
人生でなにも爪痕を残すことなく、死ぬのでないかという恐怖が体を襲った。
今まで、どこかで自分は特別だと思っていた。
才能も能力もあると思っていた。
根拠のない自信で溢れていた。
でも、野球をやめたとき、僕にはなにも残っていなかった。
なんにもなかった。
「これが出来る!」と、胸を張って言えるものは、なかった。
学校へ行っていないので、勉強もしていない。
夢中になれるものもない。
根拠のない自信は、僕の心から吹き飛んでしまっていた。
このまま、なにもない、何者でもない自分で死んでいってしまうのだろうか?
これまで、どれだけバカにされても、僕は自分の夢に向かって、一心不乱に進んできた。
「プロ野球選手になんてなれるわけないよ」という人たちを、見返したいと思い、懸命に努力してきた。
しかし、志半ばで、僕の心は折れてしまった。
「ガンバりたい」と思うものの、なにをガンバったらいいのかがわからなかった。
力を注げるものが、なかった。
僕は、このまま、惰性のまま人生を終えてしまうのだろうか?
生きているか死んでいるかもわからず、ただお金のために仕事をして、一生を終えるのだろうか?
そう思うと、恐怖だった。
そんなふうに、なにをするでもなく生きているだけなら、死んだほうがマシだとすら思った。
飼い殺しのような時間は、2年近く続いた。
「とにかく、大学へ行けば見つかるだろう」
そんな淡い期待を持ち、浪人生活を過ごした。
たとえそれが受験勉強であったとしても、夢中になれる時間は、幸せだった。
目の前にやるべきことがあるのは、大きな充実感を感じさせてくれた。
そして、第一志望とは違うものの、大学へ進学。
大学へ行くと、きっとやりたいことが見つかる。
人生の目標が見つかると思っていた。
しかし、そんな単純なものではなかった。
サークルに入り、楽しそうに遊んでいる同級生。
バイトに明け暮れている大学生。
彼らからは、志も、人生の目標も感じることができなかった。
同級生に「まだ、就活じゃないし、あせらんでいいやん」と、言われて僕はガッカリした。
僕は、やりたいことを見つけるために大学へ入った。
「早く見つけないとまずい……」という恐怖が体を包んでいた。
でも、周りの大学生は、気楽なものだった。
「単位だけ取っていればいいよ」
「大学生活、楽しまないと」
僕にとって、大学は命綱のようなところだった。
やりたいことが見つからず、死にたいとすら思う日々の中、唯一の希望だった。
大学へ行けば、やりたいことを見つけるとこができると期待していた。
でも、誰も僕と同じような危機感を持っている人はいなかった。
誰に聞いても、やりたいことを明確に見つけている人はいなかった。
「ここでは、ダメだ……」
期待していた分、失望も大きかった。
僕は、入学して3ヶ月、7月の時点で、大学を辞めようと思った。
そもそも、滑り止めで入った大学。
正直、入りたくて来た大学でもない。
「この大学へ入学したのが間違いだったな……」と思い、僕は違う大学へ行くことを決めた。
目指したのは、早稲田と慶應。
活発な学生が多く、この学校なら、自分もやりたいことが見つけられると思った。
親に、「大学は、辞めるな」と止められたので、所属する大学に在籍しながら、受験勉強をはじめた。
僕は、仮面浪人生になった。
勉強をはじめたものの、身は入らなかった。
「違う大学へ行ったところで、ほんとに変わるのだろうか?」
心のどこかで、諦めていた。
なにかしたい。
夢中になれるものが欲しい。
ずっと思っていた。
やる気は、ある。
でも、やる気を発揮する先がなかった。
エネルギーを注ぐ先がなかったのだ。
その矛先を再び受験勉強に向けたものの、それほどチカラは出なかった。
気がつけば、学校にも行かず、引きこもるようになった。
外にでるのも億劫になり、出前の弁当を食べる日々。
明かりもつけず、暗い部屋の中、ずっと天井を眺めていた。
なにをしよう?
なにをすればいいんだろう?
これから、どうしていこう?
グルグルと頭の中がまわる。
なにもしないまま時間は過ぎていき、受験シーズンに入った。
ほとんど勉強もしていないため、当たり前のように試験には落ちた。
そして、不本意のまま、大学2回生になった。
状況はなにも好転せず、未だになにをしたらいいかわからない。
これから、どうしていこうか……?
これまでと同じように、考える。
再受験に失敗したことで、もう他の大学へ行くという選択肢は消えてしまった。
もう、今行っている大学へ通うしかない。
退路は、断たれた。
そう思ったとき、ふと気がついた。
もしかしたら、僕はとても大きな勘違いをしていたのかもしれないと。
今までずっと、誰かのせい、環境のせいにしていた。
誰かが悪い。
大学が悪い。
何度も、期待を裏切られた気がしていた。
でも、そうじゃなかった。
僕は、ずっと責任を誰かに転嫁しているだけだった。
「自分が変わるしかないな……」
ぼそっとつぶやく。
変わろうと決意したものの、人はそんな簡単には変われない。
結局、2回生になっても、前期は全く授業に出ることはできなかった。
しかし、ずっと”Empty”だった心のエネルギーは、少しずつ” Full”のほうへ向かっていた。
夏休みを目前に控え、ようやくエンジンがかかり始めた。
まずは、引きこもる生活からの脱却ということで、バイトを始めることにした。
そして、夏休みは友人に背中を押される形で政治家のもとでインターンシップ。
そのときからだった。
強く、「社会を変える仕事がしたい」と思ったのは。
でも、それまで引きこもりで、まだ大学生だった自分がなにができるのか、どうやって社会を変えるのかなんて、まったくわかっていなかった。
だから、「やりたいことを見つけるために行動しよう!」と思い、今までの鬱憤を晴らすように、外へ出るようになった。
東京のテレビ局でインターンをして、番組制作に携わった。やっていることは、ADで、ただの雑用だったけれど、とても楽しかった。
頭の中だけで考える時間は、もう卒業だ。
「とにかく、考えるよりも、まずは飛び込んでみる!」と思って、どんどん行動をしていった。
カフェがやってみたくなって、Webで人を集めて、北野天満宮のそばにある商店街で、期間限定でカフェを開いた。
こもっていたらなにも変えることができないけれど、人が意思を持ち、「やろう!」と思ったら、どんなことでも変えることができると、僕は行動の中で学んでいった。
行動していったことで、僕はNPOという働き方を知り、今の団体を立ち上げることができた。
僕は、今は”代表理事”なんて肩書きをもらい、たくさんの場所で偉そうに講演なんかをしている。
先生の資格すらないくせに、学校の先生に研修をしている。
まさか、大学にも行かず、天井をずっと眺めていたときには、こんな自分は想像すらできなかった。
今でも僕は、自分が恵まれていたなと思っている。
あのとき、高校を途中で辞めたいたら……
あのとき、大学を途中で辞めていたら……
あのとき、ずっと引きこもっていたら……
どの選択をしていても、今の状況にはなっていないだろう。
たまたま、僕はツイていた。いつだって、最後には、僕に手を差し伸べてくれる人がいた。
でも、みんながそうであるわけじゃない。
やりたいことがなくて、学校を中退してしまう。
学校が行けなくなり、ずっと引きこもる。
僕がその子たちの状況になっていたかもしれない。
そう考えると、苦しんだからこそ、僕が今の仕事をやるべきだと思うのだ。
やりたいことが見つからない子。
学校へ行けなくて苦しんでいる子。
その子たちに、手を差し伸べなくちゃならないと、強く思う。
“使命”というと、大げさかも知れない。
でも、苦しんだ日々は、僕が子どもたちに還元するための貴重な体験だったと思えば、意味があるものだと思える。
「同じような体験をしていない大人に、なんかアドバイスされても、全然受け入れられへんねん。
結局、あなたは楽しく学校行けていたのでしょ? と思うから。
だから、田中さんには会ってみたいと思うわ」
保護者のかたが、うちの子がこんなことを言っていますと、伝えてくれた。
学校へ行っていないとき。
引きこもっていたとき。
出口は見えず、暗闇の中をずっと歩いていた。
いつになれば、光は差すのか。
このまま闇に飲み込まれてしまうのじゃないかと思った。
でも、今この経験があったからこそ、子どもたちは僕に「会いたい」と言ってくれる。
僕の話しを保護者のかたが、「聞きたい」と言ってくれる。
できることならば、思春期の頃に戻り、人生をやり直したいなと思う。
しかし、それは決して叶わない夢。
ならば僕は、この与えられた使命を全うすべく、全力をかけて子どもたちに向き合いたい。
子どもたちが、僕と同じ苦しみを決して味わうことがないように。
僕は、保護者のかたを見て、笑みを浮かべて言った。
「大丈夫ですよ。きっと光が差す日は来ます」
だって、相談を聞いてくれる大人なんてほとんどいなかった僕でも、闇の中から出てくることができたのだから……
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