「近道は遠回り」、それが不登校支援

先日所用で佛教大学に行ったのですが、そこでこんな掲示を発見。

近道は遠回り  急ぐほどに足をとられる

佛教大学という場所柄、仏教の教えか何かなのだろうと思い帰宅後調べてみると、どうも10年前の「大分麦焼酎二階堂」のCMが出典であることがわかったのですが、同時にこの言葉にはまだ続きがあることも知りました。

始まりと終わりを直線で結べない道が、 この世にはあります。 迷った道が、 私の道です。

思わず不登校支援と重ね合わせてしまいました。

「急がば回れ」ということわざがあります。実はこれ、D.Liveのお膝元・草津市の「矢橋の渡し」に語源があるのですが、僕は不登校支援について、必ずこのことわざを頭に置きながらお話するようにしています。

朝起きるのが辛いかもしれない。毎日とにかく不安で不安で、勉強も遊びも何も手につかないかもしれない。「学校復帰」というゴールを置いたり、もう二度と学校に行かないと思っていても将来のことを考えるならば、これはとんでもない回り道をしているようなものです。

不登校支援における「直線で結べる道」を考えてみると、きっと行けなくなった子どもに対して無理やり朝8時に学校に送ったり、「なんでもいいから学校行きなさい」とガミガミ叱ることなどが考えられます。他者の視点からすればもっと違う考え方もあるかもしれません。

でも、無理やり朝学校に送ったり、強引に学校へ行けと言って改善した例を、僕はあまり知りません。

「学校に行きたくない」子どもたちに対して学校に行くよう促したところで、学校に行くのは親(大人)ではありません。子どもの状況、心境を鑑みることなく登校を急かすのは、それこそ「急ぐほどに足をとられる」ことになるのは明白です。

中学3年間不登校だった僕は、入学した高校で教師の圧力に根負けしてすぐに不登校に逆戻りしました(そのときの記事)。でも僕はこのとき、「普通の学校生活」に憧れを抱いて、学級復帰と中退、転入の道で食事もままならないほどに揺れ動いていました。心のどこかで焦っていた時期でもあります。

結局、2ヶ月で通信制高校に転入したのですが、実は中学3年の進路選択のときも身の回りの不登校の同級生が通信制を選ぶ中、自分はどうしても通信制に行きたくない、とあえて全日制を選んだ経緯がありました。だからこの転入も正直あまり気乗りしなくて、自分のキャリアに傷がついたとすら思っていました。

でも人生は分からないものです。

素直に書くなら「イヤイヤ転入した」通信制高校で、僕はいまでも交流のある先生方と出会うことになります。ちなみにこの先生方には先月、教育実習という形でもたいへんお世話になりました。そこからようやく「僕の高校生活」がはじまっていったわけです。

こう振り返ると、高校1年の春、僕は「急ぐほどに足をとられる」生活でした。学級復帰を急ぐあまり、毎朝身体が動かない自分に絶望して閉じこもる生活は、地獄そのもの。僕の道は、間違いなく「迷った道」だったんだなあ、と今になって思います。

不登校支援とは、回り道回り道が実は近道なのです。焦っても急いでも結果はついてきません。

その道は、決して平坦じゃないかもしれない。とんでもない上り坂だったり階段だったり、はては車酔いしてしまいそうな急カーブの連続かもしれない。そんなところで急げば、もしかすると生命を落とすような大事故に遭ってしまうかもしれません。

「大分麦焼酎二階堂」のこのセリフは、まさしく人生の道標となってくれるものです。

近道は、遠回り。急ぐほどに足をとられる。
始まりと終わりを直線で結べない道が、 この世にはあります。 迷った道が、 私の道です。

不登校の子どもたちと関わるヒントは、思ってもいないところに隠されているのかもしれません。

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    この記事を書いた人

    子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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