僕たちがおこなっている子どもの教室は、どう見ても居酒屋だった。

「小さなプライドだな」と、笑われてしまうかもしれない。
けれど、思春期の男子なんてものは、そんなもんなんだ。

僕は、中学生の頃から、悩みや不安など、誰にも相談できなかった。

学校へ行けなくなったとき。
部活を辞めたとき。
大学を辞めようと思ったとき。

一切、相談をしなかった。

自分の弱いところを見せるのがイヤだった。

悩んでいる姿を見せるのが、まるで屈辱のように思っていた。

先生に、「どうした?」と言われても、「大丈夫です!」と、いつだって気丈に振る舞っていた。

人からは、ぼろぼろに見えていたのかも知れないけれど、自分では平静でいるように見栄をはっていた。
 

今になってみるとわかる。

僕には、「この人なら聞いてくれる」「ここならどんなことでも言える」と思える人や場所がなかったのだ。

学校へ行かなくなった高校時代。

僕の居場所は、河川敷だった。
土手に寝そべり、空を見上げる。

「これから、人生どうしたらいいんだ?」

雲や空、鳥。
誰も、僕の疑問に答えてはくれなかった。

ただ、風が吹き、雲が流れていく。
太陽が落ちていき、空は赤く染まっていく。

答えが見つからないのに、僕は毎日のように河川敷へ行き、空に問いかける。

天高く、手を伸ばし、見えない答えを何度も掴もうとした。
もちろん、なにも見えていない。掴めるものは、なにもない。

でも、なんでもいいから、すがりたかった。

たとえ、小さなキッカケでもいい。なんでもいいから、この手で掴みたかった。

僕は、心の中でずっと叫んでいた。

「どうしたらいいんだよっっっっ……」

肩をすぼめ、「頼むから、誰か答えてくれよ……」と、つぶやく。
自転車をこいで家へ帰るとき、涙は風と一緒に流れていった。

手がかりは、なにもなかった。
迷宮入りしてしまった事件のように、なにもとっかかりがなかった。

ただ苦しんでいるうちに、時間だけは過ぎていった。

あのとき、誰か自分のことをわかってくれる人がいたら、どれだけ救われていただろうと思う。

それはきっと、先生でも親でもない。
自分とあまり関係のない人が良かったな。
 

思春期の男子は、プライドが高い。

僕は、決して誰にも弱音を言わなかったし、「苦しい」と漏らしたこともない。

親に「どうしたん?」と言われても、カッコつけたくなるから、「なんもない」としか言えない。

言いたくないんだ。

「小さなプライドだな」と、鼻で笑われるかもしれないけれど、そんなもんなんだ。男子ってものは。

だから、僕は自分が思春期のとき、苦しかったときに欲しかった居場所を作りたいなと思って、TRY部という教室を草津で始めた。

子どもたちの話をただ聞いてあげる存在でいたいと思った。
苦しいときに「わかるよ」と言って、聞いてあげる。

「どうしよう?」と聞いてきたら、一緒に「どうしよっか」と考える。

子どもに寄り添い、一緒になって未来へ進んでいく関係。

そうやって、目の前の子どもたちと向き合っていたら、気がついたら3年も経っていた。

先日のこと。
あらためて、「TRY部ってどんなところなんだろう?」と考えてみた。

ここは、塾でもない。
フリースクールでもない。
ボーイスカウトでもないし、ただの習い事でもない。

モヤモヤと考えていたら、「あっ」と、閃いた。

「居酒屋だな」と。

スタッフに話すと、「そんなにおっさんくさい場所でしたっけ?」と笑われた。

でも、TRY部で子どもたちを見ていると、思いつきは、確信に変わっていった。

「うん、やっぱりそうだ」

TRY部で、生徒たちがこんなことを言っていた。

「ちょっと聞いてぇや! お母さんには言われへんねんけどさ〜」
「グダグダ愚痴を話せるのがTRY部やわ」
「あんなぁ、学校でむかついてることあるねん」

飲んでいるのは、ジュースやお茶なのに、なんだかお酒を持ってしゃべっているように見えてくる。

TRY部では、愚痴を話すことができる。

イライラしていること、不安に思っていること、できないこと。

「ピアノの練習が続かない」
「学校で嫌いな子がいる」
「先生が理不尽で腹が立つ」
「友達に変な絡みかたをされて、どう答えていいかわからない」

など、思うがままに話をする。

僕たちは、「そんなこと言ったらあかん」と正論を言って、制することはしない。

ただ、黙って頷く。
「うんうん」と、聞いてあげる。

話していると、自分で次はどうしていこうか、答えが見つかることがある。思考が整理される。

悩んでいることがあれば、みんなで一緒に考える。どうしたらいいか、話し合う。

飲み会の席では、どんなことでも気軽に言える。愚痴も悩みもしんどいことも、全部話せる。

思いもつかなかったアイデアも生まれるし、「こんなことしたい」と夢を語ることもある。

学校や家で、熱く夢を語ることはできなくても、居酒屋の席では、大きな夢を語っても誰も笑わない。むしろ、「自分は、こんなことがしたい」と他の者も話し出すだろう。

僕には、誰も自分の話を聞いてくれる人がいなかった。
ホンネで悩みを話せる相手がいなかった。

でも、TRY部に来ている子どもたちは違う。

聞いてくれる大人がいる。
悩みを共有できる友達がいる。
どんなことでも語れる場所がある。

正直、「羨ましいな……」と思う。

僕が中高生のとき、TRY部があったら、モヤモヤしていたことを全て話しただろう。
そうしたら、河川敷で、空に向かって叫ぶこともなかった。

残念だな……。

今、僕はいつだって居酒屋へ行くことができる。

でも、できることなら、思春期のあの頃。
居酒屋へ、居酒屋のような場所に行けたら良かったのに……。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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