「ゆとり教育」「今時の若者」と分類することの弊害

いわゆる「完全週休二日制」、要するに毎週土日に学校が休みになったのは、僕が小学2年生のとき。1年間だけ毎月第1・第3土曜日にも登校する生活を経験しましたが、僕はバリバリの「ゆとり世代」の時代に育った人間です。
そこで日々思うことがひとつあります。
たとえば何かの能力が欠如していたり、何かに失敗したとき、僕らの世代は決まってこう言われます。
これだからゆとり世代は。
「今時の若者は・・・」というより、何かにつけてゆとり世代だと揶揄されるのが決まりなのですが、僕はそんな言葉を聞くたびに、思わず眉をひそめます。なぜなら、何もこのゆとり世代になりたかったわけではないし、経験したくてゆとり教育を経験しているわけではないからです。
私たちはゆとり教育を受けたい!と言った結果がこれならば納得はいくのですが、大人たちが敷いたレールの上を問答無用で歩まされ、挙句大人の思い通りに行かなければ「これだからゆとり世代は」と軽蔑されたり揶揄される。ただの自己勝手じゃないか、と何度も何度も思いました。
確かに、「ゆとり教育だから仕方ない」と片付けておけばとても楽で簡単なのは間違いありません。「できないのはこういう教育を受けさせた国のせい」とすることもできます。しかしそう捉えられずに「ゆとりという言葉を通して自分のことを否定されている」と考える若者がいることも、また事実です。
社会のそんな雰囲気の中で、低成長時代に生まれた子どもたちは、マイナスのメッセージを送り続けられているように感じます。閉塞した時代に生まれてきたのは彼らのせいではないのに、こういった時代状況の中で、我々大人たちは、子どもたちに、今のままではダメだ、ダメだ、という言外のメッセージを送りつづけているのではないでしょうか。しかし子どもたちにとってみれば、どんなに社会状況が厳しくとも、自分を認め、自分の存在に自信を持って生きていくことが必要ですし、その権利があるはずなのです。
引用:古荘純一(2009)『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』光文社新書 P16
古荘純一先生(青山学院大学)の著書『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』に、こんな一節があります。これは、非常に的を得た指摘だと思います。ここでは子どもたちに対して書かれていますが、新社会人、つまりある程度大人になったゆとり世代にも同じことが言えます。
現在は学習指導要領が改訂され「脱ゆとり教育」という方向性にはなっていますが、それでも「今時の若者は・・・」などと年輩者が嘆かなくなったわけではありません。しかしそれは、若者や子どもたちのやる気や希望をただ奪うだけのフレーズではないでしょうか。
おそらくいつの世の中も「今時の若者は・・・」というフレーズを浴びせられたと思います。たとえば僕の高校時代にはLINEというものがありませんでした。しかしLINEはいまやいじめの温床になっているほど当たり前に使われています。もはや「使うな」と言うほうがリスキーな時代です。
そこで「今時の若者は・・・」と切り捨てるのではなく、新たな文化、情報を取り入れて、上手な付き合い方や温かい眼差しを送ることが今の大人に求められています。逆に言えば、今時の若者とかゆとり世代などと冷たい目線を送ることは、ある意味で若者たちを否定していることと同義です。
何気ないその一言で、子どもたちの自信ややる気を失わない世の中にしていきたいものです。