バイトをしてでも、この活動に取り組む理由〈大学生インターン募集〉

「おいっ! 静かにしろっ!」
あぁ、だめだ……
イライラが募り、つい子どもたちにあたってしまった。
NPO法人を立ち上げたまでは、良かった。
法人化すれば、あとは全てうまくいくと思っていた自分が甘かった。
友人も知り合いもいない滋賀県という土地は、僕に冷たかった。
小学生向けに立ち上げた教室は、誰も生徒が集まらなかった。
“半年間無料”という苦肉の策で、なんとか12人の生徒は集まった。
しかし、当然のように、無料期間が終わると生徒はほとんどがいなくなった。
残ったのは、わずか3人。
1人は6年生で、中学に上がると、教室を卒業する。
生徒がいなくなる日もそう遠くはなかった。
焦る日々。もどかしい毎日。
仕事は、毎週土曜日にある教室のみ。
ほとんど収益には繋がらない。
仕事がなさ過ぎて、ずっと部屋に籠もっていた。
「なにかしないと!」とは思うのだけれど、なにから取りかかればいいのか、全くわからなかった。
どうしてこんなことになったのだろう……
子どもが自信を持てていない社会を知って、「自分がなんとかしないと!」と思い、団体を立ち上げた。
僕自身が不登校を経験したこともあり、しんどさを抱えた子どもたちに手を差し伸べたかった。
大丈夫。自信を持って!
やればできるよ。
子どもにそう言ってあげようと思っていたのに……
僕自身が、今にも折れそうだった。
SNSを見ると、楽しそうに働いている大学の友達。
活躍しているNPOの仲間たち。
胸が締め付けられそうだった。
僕はただ思い上がっていただけで、全く能力も才能もなくて、団体を運営していくことなんて不可能だったのだ。
ガンバろうと思うけれど、「どうせ俺はなにやってもダメなんだよ」と頭の中で声がする。
ダメだ。もっとガンバるんだ。
ビラを作ろう。ホームページも新しくしよう。たくさんの人に会いに行くんだ。
意気込んだものの、全く行動にうつせなかった。
「社会を変えるんだ!」と、意気揚々と滋賀へやってきた僕の思いは、すでに風前の灯火になろうとしていた。
そんなときだった。
僕は大きな転機を迎えることになる。
キッカケは、1通のメールだった。
購読していたメルマガに、研修のお知らせが載っていた。
企業の協賛を得ておこなうその研修は、2泊3日でおこなわれ、東京までの交通費も宿泊費も全てが無料。
お金がなくて、友人の結婚式すら行けなかった僕には、有り難い話だった。
もしかしたら、なにかキッカケがつかめるかも?
淡い期待を胸に東京へ。
まさか、あんなことを言われるとは思ってもいなかった。
その人は、すごく怖いと評判だった。
NPOの重鎮で、名前はもちろん知っていた。
60歳を越えているにも関わらず、彼女は全く年齢を感じさせなかった。
周りの人たちが何人も「私、あの人に泣かされたのよ」と言う。
初日の講義。
「なにか質問は?」と言われたので、僕は手を挙げ、気になることを聞いてみた。
すると、彼女は「あなた、しょうもない質問をするわね」と一蹴された。噂通り、厳しい人だった。
この研修では、最終日に各自がプレゼンをすることになっていた。
プレゼンの内容で聞きたいことがあったので、彼女へ相談に行った。すると、彼女は思わぬことを言った。
全くの不意打ちだった。
プレゼンの内容などそっちのけで、彼女は言った。
「あなたは、そろそろ自分を許したほうが良いわ!」
なにを言っているかわからなかった。でも、僕はなぜか泣きそうになっていた。
「あなた、自分のこと許していないんでしょ? だから、あんなしょうもない質問するのよ」
図星だった。
はっきり言って無意識だった。プロ野球選手を目指し、大阪の強豪校へ進学。しかし、他の人たちの凄さに圧倒され、志半ばで野球をやめた。
僕はずっとそのことを悔いていた。
途中で辞めた自分を許せなかった。
だから、心のどこかで、うまくいかないことも「これは罰なんだ」と思っていたのだろう。
ずっと自分を責めていた。どんなときでも。
高校時代から、10年がたち、とっくに自分の中で消化しているつもりだった。でも、違っていた。
僕は、自分で自分の足を引っ張っていた。
心に全く余裕がなかった。
ずっと「自分がガンバらないと!」と思っていて、誰にも頼ることができなかった。
苦しくても、誰にも相談できなかった。
苦境に陥るたびに、自分を責めた。
俺が悪い。俺が悪い。
でも、10年近くもずっと責め続けた僕の心は、すでにボロボロになっていた。崩壊寸前だった。
「自分のことを許しなさい」と言われたとき、僕の視界は一瞬で晴れた。
あぁ、もうガンバらなくていいんだ……
そう思うと、涙が止まらなかった。
必死でガマンしていた心の中の自分は、「やっとわかってくれたんだね」と言っているようだった。
トイレへ行って、僕は声をあげて泣いた。
研修が終わって、滋賀へ帰ってきたときに僕は決めた。
ガンバることは、やめよう。
出来ることを1つ1つやっていくんだ。
これまでは、NPO活動に集中したかったから、ほとんどバイトをしていなかった。結果、収入が少なくて、気持ちばかりが焦っていた。「早く稼げるようにならなくちゃ」と。
意を決し、僕はバイトを辞めた。
そして、新しいバイト先を見つけた。
週5日働ける場所に変えたのだ。
焦るのはもうおしまいだ。お金はバイトで稼ぐ。
NPOは、焦らずにじっくりやる。
腰を据えて、僕は長期戦に持ち込むことに決めた。
自分1人だけでガンバらない。
肩の力を抜き、コツコツとガンバるようにすると、少しずつだけど結果が出ていた。
仲間も1人、また1人と増えていった。
ただ、ガンバったからと言って劇的に状況が変わるほど世の中は甘くない。
僕は、 ある決断をした。
自団体のオウンドメディアを作ることにしたのだ。
ブログで団体の情報などを発信するメディアで、企業が多く作っている。
しかし、NPOで取り組んでいるところはほとんどなかった。
当然だろう。
慢性の人不足で、記事を書いている余裕など、どこの団体にもないのだ。
僕たちだってそうだ。給料なんてなくて、誰もが手弁当で活動をしていた。ブログを書いたところで、ほとんど得はない。
でも、数年後を見据えると、僕はやるべきだと思った。
「今、うちの団体はほとんどの人たちに知られていない。きっとこれからもこの状況は大きくは変わらないだろう。じゃあ、動くしかない。発信していこう。僕たちは、ここにいるんだって!」
無茶を言っていることはわかっていた。
しかし、スタッフは快諾してくれた。
ブログを立ち上げ、毎日のように書いた。
なにを書いたらいいかもわからなかったけれど、「続けることが大事」だと思い、4人のスタッフで100日連続投稿。
PVが“13”とか、目も当てられないくらいの数字を記録していたけれど、意に介さなかった。
300記事書かないと、結果は出ないんだ。
そう言い聞かせ、みんなで書いた。
次第に、「ブログ読んでいるよ」と言われることが増えてきた。
名刺交換をするとき、「あっ、聞いたことあります」と言われるようになってきた。
2015年に始めたブログは、今では571記事まで増えた。
月間PVは、20,000近く(1月 17,127PV)まできた。
1日50アクセスすらままならなかった日が懐かしく思うほど。
少しずつ、団体の活動も軌道に乗り始めてきた。
しかし、だ。
活動を続ければ続けるほど、僕の心はモヤモヤするようになった。
団体のことを知ってくれた人が、問い合わせをくれる。
遠いところだと、北海道や鹿児島もある。
その人たちは、みんな子どもが不登校で悩んでいた。
「どうしたらいいんだろう?」
「うちの子がすごくしんどそうなんです」
悲鳴が聞こえる。
なんとかしてくれ、なんとか助けて……
困っている人が、この社会にはたくさんいる。
それは、もう数えきれないほどに。
でも、僕たちは微力で、まだまだ全国で活動ができるほどの体力もない。
正直、“不登校”という分野にも、参入することは控えていた。
専門的な分野で、医師の力も必要となるので、安易に「やろう!」ということはできなかった。
“不登校支援をしています”なんて、どこにも言っていないのに、口コミで活動は拡がり、「うちの不登校で困っているんです」という問い合わせが少しずつ増えていった。
やるしかないな……。
僕は、困っている人たちをなんとかしたいと思って、この団体を立ち上げた。
中学3年生のときから僕の心は荒れ出し、高校生のときに学校へ行かなくなった。大学も1ヶ月ほどで行かなくなり、引きこもる生活をした。
苦しかった。
誰かにわかって欲しかったけれど、僕の心の悲鳴は誰にも聞こえなかった。
僕のように苦しんでいる子を救いたい。
手を差し伸べたい!と思って、学生のときにこの団体を始めた。
NPOには、「気づいたものの責任」という言葉がある。
僕は、子どもたちが苦しんでいることに気がついた。
だから、どれだけ僕自身が苦しくても、お金を稼げなくても、リスクを負ってでも、子どもたちのために活動をしていかなくちゃならない。
先日、小さくだけど、不登校の子たち向けの活動を始めた。
新しい教室をオープンし、来月からは昼の居場所もスタートする。
どれも、保護者の方々から「ぜひやってください」と言われて始めることになったものばかりだ。
これから始める新しいプロジェクトも、保護者の人たちから「ぜひっ!」と言われたのがキッカケだった。
僕たちは、不登校で困っている人たちが情報を得られるブログメディアをつくる。このプロジェクトは、僕たちがやらなければならない。
現場が忙しくなかなか発信できない他団体の代わりに、僕たちが取材し、情報を掲載するのだ。12万人いると言われている不登校の子どもたちのためにも、なんとしてでもやる。
セミが地中深く、7年のときをかけて潜っているように、僕たちはじわじわ活動をおこない、やっと日の目を見るところまできた。
ここからは、外に出て、大きな音色を奏でるのだ。
社会へ大きなインパクトを与える仕事をする。
このメディアによって、きっとたくさんの人たちが救われる。
編集部として、このプロジェクトを一緒に立ち上げてくれる心強い仲間を待っています。
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