【編集長候補募集】関西でWebメディアを本気でつくりたいアナタへ

2015年1月。
僕は、とある決断を伝えようと、スタッフを集めた。

正直、「ついてきてくれるのだろうか?」と不安に思いながら、3人の顔を見渡した。

NPO法人になって2年ほどがたっていた頃。
誰も知り合いがいない滋賀という土地を選び、僕らは子ども向けの教室を運営していた。

生徒はあまり増えず、団体としての認知度も全くなかった。「講演します!」と言ったところで、「え? 誰?」となる始末。

仕事も全然なく、僕は、NPO法人の代表でありながら、毎日8時間以上、レストランでバイトをしていた。

「このままではいけない……」
活動を続けたところで、じり貧になっていくだけだ。

意を決して、スタッフに語る。

「自分たちのブログを本格的につくろう。Wordpressを使い、ちゃんと記事を書く。
たまに書くんじゃなくて、毎日のように書く。僕たちの団体を知ってもらうには、もっともっと発信する必要がある。
今のままでは、誰にも知られずに、消えていくのみだ。
はじめは大変だと思う。でも、ここで踏み出さないと、なにも変わらない」

NPOでオウンドメディア(自社メディア)を持っているところは、ほんとんどない。

スタッフにとっては、負担だ。
お金にもならないし、今までの業務に加えて、新たにやることが増える。

反発も予想していた。「いや、やりたくないです」と、言われても仕方ないなと思っていた。
しかし、3人は黙って、でも力強く頷いてくれた。

Webに強いスタッフなんて誰もいない。

僕は自ら書店へ行き、Wordpressの関連書籍を買って、勉強をした。本やWebサイトを見ながら、サーバーを借りて、Wordprssを構築していった。

オウンドメディアの準備が出来たところで、僕は1つのマル秘プロジェクトを打ち明けた。

僕たちみたいな、無名の団体が記事を書いたところで、誰も読まないだろうというのは予想ができた。

長期戦になるだろうと、僕は覚悟していた。

まずは、100記事。ここで初めてスタートラインに立てる。300記事を越えると、少しずつ影響が出てくるだろうと、予想を立てた。

だからこそ、早くに100記事を達成することが必要だった。

「100記事に到達するまで、毎日書こう!」

そう言ったとき、スタッフの3人は「え?」と、目が点になっていた。

「ん?」
「え?」

みんなが互いに顔を見合わす。

「自分たちの存在をたくさんの人たちに知ってもらうためには、まずはとにかく書くこと。
クオリティとかそんなものはどうでもいい。とにかく、書こう!」

ハッキリ言って、滅茶苦茶だ。

今度こそ断られると思っていたのに、みんなは「仕方ないなぁ。やりますかー」と、応えてくれた。

のちに、僕たちの間で「アイスクリームプロジェクト」と名付けられたこの企画は、こうして始まった。

4人が交代で記事を書く。つまり、全員が4日に1回は記事を書くということだ。

風邪をひいたこともあった。ネタが全く思いつかず、のたうちまわったこともあった。さすがに無理かも知れないと、弱気になったときもあった。

しかし、100日連続で、誰も原稿を落とすことなく、目標だった100記事を突破した。

ご褒美として、僕たちは、大きめのハーゲンダッツアイスクリームをみんなで食べて、祝った。(だから、アイスクリームプロジェクト!)

気がつけば季節は春を過ぎ、世間はGWに突入していた。

あれから2年がたった。
記事の数は、もうすぐ“600”になる。

あのとき、オウンドメディアを立ち上げていなかったら、今頃どうなっていたのだろうと思うと、ゾッとする。

それだけ、記事を書いた恩恵は大きかった。
ここには書き切れないくらい、たくさんのことがあった。

発行している冊子『子ども自信白書』は、全国から「ブログを読んで知りました」という問い合わせがくる。

先日は、「読売中高生新聞」の記者さんがわざわざ東京から取材に来てくれた。
滋賀県の教育フォーラムにゲストとして呼ばれ、先生向けにも講演をした。

2年前には、誰にも相手にされなかった。
「講演をしたい」と言っても、誰も取り合ってはくれなかった。

クタクタになりながらも、マンションのポストに教室のビラを入れていた。一切反応がなくて心が折れそうになるのを何度もこらえた。

今では、募集をかけなくても、生徒が集まるようになった。

あのとき、オウンドメディアを作ることを決めていなかったら、きっとここまでの成果はあげられていない。

ただ、2年が過ぎ、新たな問題点も見えてきた。

今までは、自分たちの団体を知ってもらうためだけに記事を書いてきたけれど、それでは足りないなと感じるようになってきたのだ。

不登校に関する相談を多く受けるようになり、社会としての課題を肌で感じるようになってきた。

不登校と言われる子どもは、全国で12万人以上もいるにも関わらず、情報が少なすぎる。

保護者は、どうしたらいいかもわからず、必死でWebなどで情報を探す。どこへ相談すればいいのか? どんな関わりを子どもにすればいいのか? 全くわからず、パニックになってしまう。

僕たちは、不登校で悩んでいる人たちに、必要な情報を届けたい。

Webにはあまり出ていないけれど、不登校の子どもたちが行ける居場所もある。活動しているNPOや市民団体もある。

しかし、現場の人たちは活動に忙しく、情報発信にまで手が回らない。

結果、サービスはあるにも関わらず、必要な人たちに届いていないという現状になっている。

せっかく作ってきたオウンドメディア。

これからは、ただ自団体のPRをするだけではなく、困っている人、本当に情報を必要としている人たちに届けていきたい。

月間PVは、2万近くまで達するようになってきた。
この数をもっと伸ばしていきたい。

今まで、どれだけ情報を探しても見つけることができなかった人たちが、欲しい情報を得られるようにしたい。

全国の情報を網羅することは難しいけれど、関西圏で困っている人たちの役に立てるメディアへと育てていきたい。

ただ、僕たちNPO法人はあくまで、教育NPOだ。

教室運営もあるし、目の前にいる子どもたちの成長がなによりも大切。
保護者や教員への講演など、現場の活動も多くある。

どうしても、このメディアにさける時間は限られている。

だからこそ、「なんとかしたい!」「私も関わりたい!」と思っている人にお手伝いいただきたい。

特に必要なのが、編集部。
編集長候補となる人、編集部で活躍する人を集めたい。

僕は、自分たちでこのメディアの方向性を全て決めたいとは思っていない。

編集部に来る人たちとともに、どんな記事を作っていくのか、どんな体制でやっていくのかを決めたい。

このメディアは、まるでスポーツジムのようなところだと思っている。

ジムには、機械があり、トレーニングをすることができる。スタッフがついており、適切な指導がうけられる。
体を鍛えたい人にとっては最高の環境だ。

これから僕たちがやろうとしているメディアも、Webマーケティングを学びたい人や広報の仕事に就きたいと思っている人にとっては、最高の環境だと僕は思っている。

それほど多くはないにしろ、特定のファンはついている。
その中で、自分で好きなように方向性を決めることができる。特集記事や企画なども立ち上げることができる。

トレーニングをしながら筋肉のつけかたを学ぶように、実践を通して学ぶことができる。
本やWebで得た知識だけでなく、自分で試行錯誤しながら力をつけることができる。

もちろん、うちのスタッフも全力でサポートする。一緒に考える。
ジムのスタッフと同じように、一緒になってどうしたらいいかを考える。

しかし、最終的にはあなたの力を借りたい。

まだ、それほど知識がない。ほとんどやったことがない。
そんな人でも大歓迎だ。

筋肉は鍛えれば鍛えるほど、太く、たくましくなっていく。

知らないなら、学べばいい。
わからないなら、調べればいい。

教育の専門知識は、僕たちが持っているので心配いらない。
あなたには、不登校関連の専門家になってもらおうとは思っていない。

ただ、たくさんの人たちに届けられる教育メディアを一緒に作って欲しい。

取材へ行く。ライターを育てる。アクセス数をアップさせる。
編集部の仕事は、たくさんある。

ほとんどボランティアで、この時間バイトしていたら、いくら稼げるかわからない。

僕たちは、ほとんどお金は渡せない。
しかし、あなたがどんどん成長するための舞台は用意することができる。
トレーニング機器はあるので、あとはあなたがそれをどう使うかだ。

やればやるほど、あなたの力になる。
結果、社会のためにもなる。

「自分の力を伸ばしたい!」
「Webマーケティングについて本気でやってみたい!」

教育についてあまりわからなくても問題ない。

キミと一緒に作っていけることを楽しみにしている。
 


 

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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