「失敗を責める」ことが、不登校につながる
僕が小学生のころは、家庭でしょっちゅう怒られていました。
たとえばトイレの洋式便座のフタを閉め忘れただけで理由も話されず「もうトイレ使わないで」と言われたこともありました。ちょっとした失敗でも怒られることがあったので、いつしか僕は必要以上に失敗を責めるようになりました。今でも失敗するとものすごく自分のダメさを責めます。
ある日、僕はお祭りの模擬店へおつかいに出かけ、どこかでお釣りを失くして帰ってきたことがありました。正直に言ったら絶対すごく怒られる。僕はそれが怖くて、とっさに「お店の人がお釣りを渡してくれなかった」と噓をつきました。
そのときは、ちゃんとお釣り出してって言いなさい!と結局怒られましたが、でも「なくした」というよりかは幾分かましだ、と思いました。とにかく、何か失敗したらすごく叱られる。毎日びくびくしながら生きていました。
学校がしんどい。
中学に入学してすぐ、健康診断でふざけている同級生を泣きながら怒ったことで、その夜担任から家に電話がかかってきました。そんなことだけで先生は親に電話してくるのか。僕は中学校というのは恐ろしい世界だと思いました。
そのとき僕は、ふざけている同級生が怒られている声を聞きたくないという一心で彼らに注意していました。だけどぜんぜん聞き入れてもらえず、いつしか涙を流しながら「やめろよ!」と止めていたのです。たったそれだけの事件で学校から電話がかかってくるなんて。
このころ、人間関係は正直うまく行っていませんでした。だから環境を変えたいと中学受験をしたのに失敗して、結局うまく行っていない同級生と同じ学校へ進学。そして案の定失敗して学校から電話がかかってくる。あと3年、どれだけ失敗して、学校から電話がかかってくるのだろう。
そこで、はっきりと「学校がしんどい」ことを自覚しました。
でも、僕は「学校がしんどい」ことも当たり前のように「失敗」だと思っていました。だから、家でもなかなか言い出すことができませんでした。ある朝、共働きの両親が出て行ったあと、祖父母に学校に行きたくないことを漏らしました。
やっぱり怒られました。しかも不在の両親に代わって祖父母に。
当然会社にいる母にも一報が伝わります。
「とりあえず今日は休んでいいから、明日は絶対行きなさい」
母からの電話はそのあと、「じゃあね」の一言もなく、切れました。よっぽど怒っているのだろう、とその事実にまた「失敗」の烙印が押された気分でいました。
そして夜、両親が帰ってきてから、やはり怒られました。もう、どんなことを言われたのか、まったく覚えていません。しかし怒られるほどに、自分が学校に行かないという「大失敗」を犯していること、それが本当にダメなことをしていることは、はっきりと自覚しました。
もう、どうなってもいいや。
自棄になった僕は、親の前でテーブルをひっくり返し、そのテーブルにわざと下敷きになりました。テーブルはたいして重くもないので圧死するようなことはないのですが、それは学校に行くならテーブルの下敷きになったほうが何万倍もマシだ、というメッセージでもありました。
両親は折れたように、翌日からの不登校を許してくれました。
名誉のために書くと、両親は僕のすべての失敗を責めていた訳ではありません。
「これ、保育園(が一緒)の子に渡しといて」と母に託された保育園のOB会のお知らせを、うっかり学校で渡し忘れて終業式も終えたことがありました。そのときは「よく正直に打ち明けたね」と同級生のお母さんがフォローしてくれたおかげで、穏便に終わりました。
先述した中学受験の失敗のときもそう。学力試験はパスしたのに抽選という小学生にとってはあまりに不条理なシステムで不合格が決まっただけに、本当にショックでした。人生で初めての大きな「失敗体験」でした。
でも、実は僕以上に失敗した、と思っている人がいました。
不登校になって数日後、母が書き記した手紙には、「こんな結果になるとは思ってもなく、受験を勧めたことを心の底から後悔しました。本当にごめんなさい」という一文がありました(そのときの話はこの記事をごらんください)。
そして後年、あんたにはいろいろ言い過ぎたわ、と正直に母に謝られました。
「失敗」を恐れていたのは、他ならぬ親のほうだったのかもしれない、とそのときふと思いました。
人間は、失敗することで学習する生き物です。
テストでひどい得点を取ったとき、頭ごなしに叱っても意味がありません。勉強が足りなかったのか、生活習慣に問題がなかったか、そこが分からない限りは、いたちごっこが続くだけです。
そもそも、失敗をねちねち責める、というのは僕は少し違うと思います。すべての失敗には必ず、原因があります。一歩譲って、その失敗で誰かがとんでもない不利益や迷惑をこうむっているのならまだわかりますが、失敗は「過去」のものです。どうあがいても、過去を変えることはできません。
失敗を責め続けていると、いつしか子どもは失敗することを恥だと思うようになり、たとえ大きな失敗をしたとしても隠蔽したり、少しの失敗で強烈な劣等感を感じるようになります。すると、子どもは「失敗することはいけないこと」と思い、親にすら打ち明けることができなくなります。
それはやがて、挑戦を怖れるようになったり、常に成功する道しか進まないことで自己肯定感や自尊感情が育まれにくくなり、不登校のひとつの要因となっていきます。失敗を責めることは誰にだってできますが、実はとっても危険な行為なのです。
どうか、子どもたちの失敗を責める余裕があるのならば、「その失敗はこれからどうすれば回避できるのか」を冷静に子どもたちと一緒に考えてあげてください。それが、不登校はもちろん、日々生き辛さを感じる子どもたちを救う第一歩になると、僕は思います。
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