「学校外の学び場で楽しそうにする」のは、本当に良くないことですか?

こんな話を聞きました。

不登校の子どもたちが日中、学校ではない別の場所でとても楽しそうに過ごしていると、いろいろと冷ややかな目線を浴びせられるそうです。なんであの子学校に行かずにここにいるの?とか。

また、学校関係者から「学校に来ず、学校外の場所で楽しそうにされると本当に困るんですよ」と眉をひそめられたということも。ちなみに学校外の場所、というのはフリースクールなど、不登校の子どもたち向けの居場所のことだったそうです。

一連の話を聞いていて、ああやっぱり不登校って誤解されてるんだなー、と感じました。

なぜ、子どもたちは学校外の場所でとても楽しそうにするのか

理由は、簡単です。

子どもたちには、学校という場所が合っていないのです。

もちろん、学校という環境が適している子どももいます。ですが、その反面で学校がイヤだ、苦手だ、という子どももいます。

学校外の場所で楽しそうにしている子どもは、家に帰れば「学校に行けない自分」と対峙する辛く苦しい時間が待っています。外でとても明るく振る舞っている子どもたちが家に帰れば暗い顔をしていたり、他の人に悟られたくないためにわざと明るく振る舞っているということは、往々にしてあります。

つまり、不登校の子どもたちが学校外で楽しそうにしているのは、学校がしんどい、家にいてもいろいろ考え込んで辛いという状況で、数少ない「オアシス」だからなのです。大人でも趣味の時間や気心知れた仲間たちとの時間が楽しいように、子どもたちも楽しくなったり心が軽くなるわけです。

「学校はしんどいけど、学校じゃないこの場所は楽しい」というのは、この場所は学校について余計なことを考える必要がないから辛くない、楽しい、ということなのです。

学校は、誰のための場所なのか

冒頭の「学校に来ず、学校外の場所で楽しそうにされると本当に困るんですよ」という学校関係者の話、僕は心底がっかりしました。

いや、先生方にもいろんな思惑があることは、理解できます。先日似たような話をしていると、大学院で教育を研究されている方から「あれは学校としてもちゃんと社会で役立つ教養を教えることができないことに不安がある」ということを教えてもらいました。確かに納得がいきます。

でも、だからといって「学校外で楽しく過ごされると困る」というのは、僕は単なる大人のエゴでしかないと思います。

なぜ、そこまで「自分を殺して」まで、子どもたちは学校に通う必要があるのか。息詰まる場所、楽しくない場所にいることは、大人でもしんどいことです。そこまでして大人の管理下に置くことは、子どもたちに悪い影響しか与えないでしょう。

一歩譲って、楽しく過ごされると困るから学校内に教室とは違う居場所を提供する、という手を打つというのなら、子どもが適応するか否かはさておきわかります。しかし、不登校の子どもたちに向けて何の対策もないまま困る、というのは少し違う気がします。

むしろ、何事にも縛られない、「自分が自分でいられる場所」があることに喜びを感じなければならないと僕は思います。振り返れば、僕が中高とお世話になったフリースクールは、訪問者がいつも「不登校の子どもたちってこんな明るい子なんですね」と目を丸くして帰っていく場所でした。

学校は、大人のための場所ではありません。子どもたちのためにある場所です。そして「子どもたち」と言っても、「すべての子どもたち」のためにある場所ではないと思います。

あの子は学校という環境の中ではとてもしんどそうだけど、他の場所で楽しそうにしてるから良かった、と感じることのできる学校の先生がひとりでも多く増えることを祈っています。

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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