殴ることを「熱血教師」とするの、いい加減やめません?

毎週水曜の僕のコラムも、年始はこれが最初の更新。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、2017年一発目はこんな話題を。

テレビでたまに、教師が生徒に対して手を上げることを感動的なシーンだと美化したり、笑いのネタとして消費するようなことがあります。年末のテレビでも、何度も何度も教師が高校生役のタレントにビンタして引きずり回す、というシーンが笑いの要素として取り上げられているのを目にしました。

たぶん、マスコミやテレビが作り出した「熱血教師像」は、子どもたちを思ってのことならば暴力でも怒鳴り声でもなんでも持ち出して正していく、ということなのでしょう。ドラマでも教師が不良生徒を一発殴って・・・というシーンが涙なしでは見られない名シーンだ、なんて称賛されがちです。

でも、それってどうなんだろう?と思うのです。

この演出が、もし実際に起こったら

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もしもテレビと同じように、教師が生徒に何度もビンタして引きずり回したらどうなるでしょうか。

答えは簡単です。最悪、教師のクビが飛びます。

クビが飛ばなくても、少なくとも謹慎など何らかの懲戒処分が下されることは間違いありません。

以前書きましたが、教師が生徒に体罰を加える行為は昔から学校教育法で明確に禁じられています(第1章第11条)。昔はしょっちゅう先生に殴られた、と回想する人もたまにいますが、実はこの「先生」は学校教育法に反しているのです。いくら生徒のためでも、文句を言われたら弁解の余地はありません。

そしてこのご時世、少し教師が生徒に手を殴っただけですぐに懲戒処分だ教師がかわいそうだ、と嘆いている人も見受けられますが、むしろこれは当たり前のことなのです。昔から「教師は生徒に体罰を加えてはならない」のです。そもそも体罰に頼らなくても、いくらでも生徒のためを思う行動はあるはずなのです。

先日も福岡の中学校で、体罰として生徒の首を絞め意識を失わせた教師が大問題となりました。このように体罰はひとつ間違えれば生徒に取り返しのつかないケガ、心の傷を負わすことだって考えられるわけです。そんな行為をテレビで茶化したり美化して取り上げていいのだろうか?という疑念が出てきます。

ちなみにTwitterで「教師が生徒を殴って笑いものにするのどうなの?」と言及したところ、「こういう意見がテレビをダメにする」というお叱りの声が来ました。しかし、「リアルにやると下手すれば解雇処分になる」行為を笑いのネタとして取り上げてる時点でそもそも・・・と僕は思います。

「教師を怖れる」子どもたち

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何度も書いていますが、不登校はいつ何時、どんな理由で誰もが陥ってもおかしくありません。

「どんな理由」、ということは、例えば毎日楽しく学校に通っていても、担任や先生の態度ひとつで急に楽しくなくなって、「学校に行きたくない」と言い出すこともある、というわけです。

僕自身、最初に入学した高校がイヤになった決定的な瞬間は、生徒指導教師が他の生徒に対しそれはそれは大声で怒鳴りつけていたことでした。あんな「恐怖」で生徒を縛り付けるような学校なんて地獄そのものだ。担任にも見放された僕は、中学時代と同じく不登校の道に逆戻りしました。

もしも「熱血」の意味をはき違え、暴力行為や恐怖政治でまとめるクラスがあったのなら、子どもたちは確実に委縮してしまいますし、そのダメージが後々尾を引くことでしょう。それに、そんなクラスには我が子を安心して預けることはできない、と感じる親御さんも多いはずです。

これは学校に限らず家庭や子どもたちが集まる場でも同様で、場づくりや雰囲気づくりひとつで大人は子どもたちを自由にコントロールできてしまうわけです。

だからこそ、テレビやマスコミで植え付けられた「熱血教師像」や体罰にとらわれることなく子どもたちの心に届く関わり方をしなければならない、と定期的に子どもたちとかかわる身として改めて感じた今年のお正月でした。

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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