あなたは大丈夫?思春期の関わり方で子どもの人生が変わるかもしれない

「あなたは、私には理解できません」

小学一年生の3者面談。
担任の先生は、母親へそう言った。

僕は家に帰りながら思った。

ああ、自分は大人には理解できない子どもなのだ、と。

無意識だったけれど、僕はそのときから1つの決断をした。

「たとえ、大人に理解されなくても、我が道を行く」と。  
  

大学生のときからずっと心に秘めている言葉がある。

「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」(坂本龍馬)

別に、大学生になってからこのような気持ちで生きてきたわけではない。

小学一年生のときから、僕はこのような生き方をしてきた。
いや、そうせざるを得なかった。  

  
担任の先生に言われた僕はどんな気持ちだったんだろうか?
さすがに20年以上も前のことは覚えてはいないけれど、少なからずの衝撃はあっただろう。

心のどこかで「大人は誰も自分のことなんてわかってくれないんだ」と思うようになったキッカケだったのかもしれない。  
  

大人の評価や言葉など気にもとめず、僕はすくすくと育っていった。
しかし、次第に軋轢が生まれることになる。

高学年になるにつれて、僕は1つのことを思うようになった。

「先生は、敵だ」と。

中学生にあがると、敵はどんどん増えていった。
先生だけでなく、親や周りのオトナ。
みんな敵に思えてきた。

いつの頃からか周りの友達でさえ敵に思えてきた。
信用できる人なんていなかった。
誰も自分のことをわかってくれない。

どんどん頑なになっていき、僕は殻にこもるようになった。
  
  
中学3年生になると、それは度を増していく。
クラスの誰とも話しをしなくなった。

声をかけてきた友達には、睨んで「話しかけるな!」というオーラを放った。
気がつけば、僕はクラスで浮いている存在になっていた。

でも、そんなことは気にならないくらいに僕はずっとハリネズミのようにトゲを出し続けた。
  

練習の方針が合わず、顧問と殴り合いになったこともある。
自分の行き場のない思い、誰にもわかってもらえない苛立ち。
モヤモヤは、増す一方だった。  
  
  
きっと時間の問題だったのだろう。
高校に入学して、僕は学校へ行かなくなった。
  
  
直接的な原因は、ずっとやってきた野球を辞めたこと。
野球がしたくて行った学校。
野球がなくなったとき、僕には行く理由がなくなっていた。

でも、今になって思う。
「もし、あのとき誰かに相談していたら…」と。  
  
  
オトナは敵だと思い、僕はどんなことでも1人で考え、1人で決断をしていた。

「どうせ、誰もわかってくれない」
「どうせ、自分の意見なんて聞いてくれない」

オトナに対しての期待なんてものは、とっくの昔に捨てていた。
そんなものに頼ってもムダだった。

期待は裏切られる。
オトナなんてそんなもの。
期待して、わかって欲しいと思っただけ損だ。
傷つくのは自分。
だから、そんなものはハナから期待しなけりゃいい。

そんなふうに思っていた。  
    
  
しばらく学校に行かず、たまに顔を出した学校でのこと。
担任の先生が声をかけてくれた。

「どうした?なにかあったら、なんでも言うてこいよ!」
    
僕は、ただ黙って唇を噛んだ。
心の中でそっとつぶやいた。

先生、もう遅いんだよ。。。  
  
  
  
このストーリーの肝は、先生が悪いとか、オトナどうとかいうことではない。

教育に関わるようになり、僕は改めて自分のことを分析してみた。
すると、不思議なことがわかった。
  
  
客観的に見てみると、先生も親もみんな温かく接してくれていたのだ。
声をかけてくれた担任の先生も同じ。

僕のことを理解しよう、わかろうとして、きっと必死で関わろうとしてくれていた。

でも、届かなかった。

僕はずっと孤独に、「誰もわかってくれない」とただ嘆いている毎日を過ごしていた。
  
  
これはいったいどういうことなんだろうか…?
  

その疑問に対する答えがわかったのは、つい最近だった。

キッカケになったのは、ある作家の言葉。
誰もが知っている本を書いた彼は、素晴らしい言葉を残していた。

僕は、その言葉を聞いて、「ああ、これだ!」と思った。
大事なのは、たった1つのことだった。  
  
  
  
思春期は、とても揺れ動く時期だ。
体がグングン成長し、その変化に戸惑う。
人の目が気になり、人と比較するようになる。
進学や将来など、悩むことも増える。
  

オトナとしても、関わり方で悩む頃だ。
  

なにを言っても「別に..」と言う。
今までどんなことでも話してくれていたのが全然話さないようになる。
なにを考えているのかもわからない。

言葉をかけても冷たく返されるので、いつからかあまり関わらないようにしてしまう。

でも、それではいけないと思い、また声をかける。
その繰り返し。

放任くらいが丁度いいとは言われるものの、「放置ではないのか?」と気に揉む。
思春期の関わり方は、すごく難しい。
  
  
  
発達の関係で、思春期の頃には子どもの自信は落ち込む。
これは、そういうもの。仕方がない。

しばらくすると、落ち着いてきて、自信は回復する。
自分のやりたいことが見えてきたり、自分がわかってくるからだ。

しかし、一定数の子はこの落ち込んだ状態から上がってこれないことがある。
僕のようにダークサイドにはまってしまう場合がある。

そうなると、学校で周りと揉めたり、不登校になってしまう。
(僕は完全にそのパターンだった)
  
  
だからこそ、思春期の関わり方はとても重要になる。

「いやぁ、思春期の関わり方は難しいなぁ」と言ってすませられる問題ではない。
  
  
経験したからこそわかる。

思春期の子どもにとってオトナの存在はとても重要だ。
いかんせん不安定な時期。
周りにわかってくれる人の存在がいることはなによりの精神安定剤になる。

ただ、それがちゃんと子どもに伝わっている場合に限る。
僕のように気がつかないこともある。

そのために大切なことは、“視線”だ。

“子どもの視線”を意識することが、たった1つの解決法になる。
  
  
  
ここ最近、僕は子どもたちとの面談が増えてきた。
接しているのは、学校へ行けていない子だ。

なんらかの問題があって学校へ行けない彼ら(彼女たち)の話をじっくり聞いている。
  
ご要望をいただき、有料でメンタリング(面談をしてこれからどうするかを一緒に考える)もおこなっている。
  
  

そんな中、1人の高校生と話をしたあとに保護者のかたからメールが来た。
(彼は、数ヶ月学校へ行けず、試しに行ったカウンセリングも数回でやめてしまったあと、僕のところへ来ていた)

1時間くらい話していたのを伝えると、「えっ?まぢ?10分くらいかと思った」と言って、もっと喋りたいと話していました。「ああいう大人の人は話しやすい」とも言っていましたよ。

正直、僕にはすごいスキルなんてない。
カウンセリングの技術もない。

にも関わらず、面談をした生徒にはこんなふうに言われ、最近では毎日のように面談をおこなっている。
  
  
僕と話している様子を見た親御さんは、「うちの子、こんなにしゃべるの久しぶりに見ました」「楽しそうにしゃべりますねぇ」と、おっしゃる。
  
  

僕は、思春期のときにオトナが「こんな風に接して欲しかった」と思うことがあって、それを体現しているに過ぎない。

良いか悪いか、僕は今接している子たちの何倍も尖っていた。

触ったらヤケドするくらいの子どもだったので、誰よりも僕は子どもたちの気持ちがわかる。

どうしてもらいたかったか?
なにがイヤで、なにをされたら嬉しいか。

それを踏まえながら僕は子どもたちと接している。
  

でも、だからと言って僕がやっている方法はそれほど難しいことではない。

ハッキリ言って、「え?たったそれだけ?」と拍子抜けるかも知れない。
それほど、考え方はシンプルだ。

シンプルにも関わらず、そのことを意識してやっている人はほとんどいない。
  

これは、どこにもないオリジナル理論。
  
  
  
先日も100人ほどの教職員へ向けてこの話しをさせていただいた。

「ああ、そうやって関わったらいいのですね」と、ベテランの先生が言うくらい、この考え方は使える。

ハウツーではないので、誰でも使いこなすことができる。

「褒める」とか「しかる」「放置する」とか、そんな手法の話ではない。

根本的な考え方。

この考え方され持っていれば、あとはそれぞれ関わるオトナの人たちが自分なりにやっていけばいい。

手法だと、うまくいくかいかないかどちらかしかない。
しかし、考え方は自分なりに工夫ができる。

自分の環境、子どもの特性に合わせて柔軟に対応ができる。
  
  
僕たちの教室(TRY部)では、不登校の子たちが多くやってくる。

先日も、1日のほとんどを家でゲームをして過ごす中学生が入ってきた。

TRY部に来て数回。

授業では、1時間くらい座談会でみんなとしゃべり続け、「やりたいことなんてなにもない」と言っていたのに、親に「アメリカへ行きたい」というくらいに変化してきた。

不登校だった子が1人旅へ行ったり、小学生が自分でプロジェクトを立ち上げたりしている。
  
  
そうなるのも、たった1つの理論を使っているからに過ぎない。

教室ではこの考え方を応用して使っているだけで、元をただせばシンプルなたった1つの理論でしかない。

正直、この考え方を伝えるのには抵抗があった。
先生に伝えるのはまだいい。
しかし、保護者のかたに伝えるのには戸惑いがあった。

これは言わば秘伝のタレだ。

教室の肝になる部分を教えるとなると、もしかしたらみんな教室(TRY部)に来てくれなくなる可能性もある。

だから、本当は教えたくなかった。
  
  

「TRY部ってすごいね」
「D.Liveが関わると子どもが変わるね」

そう言われて、ほくそ笑んでいたかった。

しかし、だ。
  

僕は、もうこれをおおっぴらに公開しようと思った。
NPOは、利益のために活動しているわけじゃない。

僕は、自分と同じように思春期のことに苦しんでいる子どもをこの社会からなくしたいと思って、このD.Live(ドライブ)という団体を立ち上げた。

「こんな風に関わって欲しかった」
「こんなオトナが周りにいれば良かったのに」

と、思っていたことを形にしてきた。

それが、TRY部であり、今のD.Liveだ。
  
  

秘伝のタレを伝えることで、教室へ来る生徒は減るかもしれない。
「あっ、自分でできます」と言って、仕事がなくなっていくかも知れない。
(そうなるとすごく困るけれど…)

でも、僕はそれでもいいと思っている。

僕がやりたいのは、思春期の子どもたちがオトナに見守ってもらえる社会をつくることだ。
  
  

先日、高校生と話をしていたとき。
彼女は、こんなふうに話してくれた。

「もっと私の話を聞いて欲しい。決めつけられるなんて、まっぴら」

中学生や高校生でも、自分の意見はあるし、見て欲しいと思っている。
もっと聞いて欲しいと思っている。

オトナもきっと同じ。

もっと聞いてあげたいと思っている。

けれど、どうしたらいいかわからない。
無視されるから、少し距離をおく、関わらないようにする。

そうやって、お互いの齟齬が生まれていく。

僕が味わったように。。。
  
  

自分の教室の利益とか、人気とかそんなものはどうでもいい。

子どもとオトナで境界線を引いたら、誰であろうが線のこっち側、オトナ側は、もれなく味方だ。

子どものお父さんやお母さんはもちろん、学校の先生、地域の人たち。

みんな「チーム子どもを見守る会」の仲間。

目先の利益とかではなく、これからの社会として、1人でも多くの人が思春期の子との関わりかたで悩んでいるのをなくしたい。

オトナが悩んでいるということは、その子どもも同じように悩んでいることになる。

オトナが悩まないようになれば、きっと子どもたちも笑顔になる。

気持ちがラクになる。
モヤモヤが晴れるようになる。

だからこそ、僕たちは子育てのイベントをおこなう。

TRY部のことや関わり方なんかも全て赤裸々に話す。

「え?そこまで言っていいの?」と言われるくらいに、どんなことでも言う。

思春期の関わりで困っている。
悩んでいる。

そんな方々に僕たちは、伝家の宝刀を授けたい。
  
  
  

『星の王子さま』の作家である、サン=テグジュペリは、とてもステキな言葉を残している。

この言葉は、恋愛について話していることで、きっと多くの人は「え?その言葉を子育てで使うの?」と、思うことだろう。

今度のイベントでご紹介させていただくこの言葉は、パートナーと過ごしていくためにとても重要なことを言っているのだけれど、僕はこの言葉を聞いてときに「ああ、これは子育てに使える」と思った。

いや、「使える」というよりも、「これだ!これが言いたかったことだ」と思った。

思わず膝を打ち、我が意を得たりと思い、少しほくそ笑んだ。
  

この言葉を紹介しながら、TRY部のこと、思春期の関わりについてお話をしたいと思っている。  

  
  
1/18(水) 思春期の子どもとの関わり方講座

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

目次