子どもは弱いヒーローだ。子どもを見守る代わりに親のあなたができること。

子どもは、勇敢に戦う弱いヒーローです。

すごく弱い。強くない敵にも、ボコボコにされます。
いやぁ、びっくりします。
「大丈夫か?」と思います。
不安に思います。

子どもたちは、そんなすごく弱い弱いヒーローだと僕は思うのです。
先日に書いた記事(『子どもを見守ることは、絶対にやめたほうがいいです』)を読んだ方から、「必要なタイミングで介入するのが難しい」というコメントをいただきました。

しかし、僕はそもそも介入なんて必要がないと思っています。

もちろん命に危険がある場合は止めますが、それ以外では介入するということ自体がそもそも必要がないと思うのです。

 

僕は、子どもは守ってあげるべき弱い存在ではなく、勇敢に戦う弱いヒーローだと思っています。


子どもは、誰もが自分をヒーローだと思っています。

自分なりに必死で敵と戦おうとしています。

しかし、「ああ、あなたは弱いんだから戦うのは禁止です。やめておきなさい」と言ったらどうでしょう?

「できる」と思っていたのに、「え?自分って無理なの?いや、戦いたいのに。。。」と思いますよね。

介入とは、こういうことだと思うのです。

大人が自分で判断して、タオルを投げて、「ストップ」をかけるような。

どんだけ弱くても、子どもは自分はヒーローだと思い、プライドがあります。
「自分はできる」とすら思っています。
“弱い”ヒーローということも気がついていないかもしれません。

そこで止められると、「あなたはヒーローには向いていないんだよ」と失格の烙印を押されたような気になります。

失望することにもなります。
それくらい“介入”という行為にはリスクがあると僕は思っているのです。
また、前回の記事で書いたように、ただ黙ってみているだけでもいけません。

子どもは、目の前にいる敵に必死なので、見守っているだけでは見えないんですよね。
1人で戦っている気になる。

だから、たまに「絆創膏用意しているよー」「包帯おいておくねー」と、見ていることをメッセージとして伝える必要があります。

視界の横で手を振るのが効果的かもしれません。

 

タイミングを見計らうとか、適切な時期とかどうでもいいのです。
「いるよー!」とアピールするのに、タイミングもなにもありません。
とにかく、伝える。いるよ、見ているよって。

伝えるタイミングを見計らい、そうこうしている間に敵へ戦いを挑みに行き、負けていたら目も当てられません。

声援を送るくらいでは決して邪魔にはならないのです。

それよりも、どんな方法でもいいから、「見ているよ!」というメッセージを伝えるのです。
LIVEのように、うちわに文字を書くことかもしれないし、大声で叫ぶ方法かもしれません。

とにかく、伝えましょう。
「でも、やっぱり心配だわ」とあなたは、思うでしょう。
当然です。
“弱い弱い”ヒーローなのですから。

どうみても負けるだろうと思います。

テレビやマンガでは、そんな逆境に打ち勝つのですが、きっと順当に負けるでしょう。
ボコボコにやられてしまう可能性が高い。

我慢できないあなたは、きっと言ってしまうでしょう。

「あなたは、弱いの。まだ、あの敵には勝てないわ。もう少し鍛えてから出直しましょう!」と。

プライドを傷つけられて落ち込む子もいれば、納得する子もいるでしょう。
しかし、納得する子は危険です。

なぜなら、今後どんな敵と戦うときでもあなたの顔を伺うようになります。
「今度の敵とは戦っていいかな?大丈夫かな?」と。

指示を待つのです。自分で考えて戦わなくなるのです。

だって、当然ですよね。
そのほうがラクだから。

「やられる前に助けたい」と思う気持ちはわかります。
できれば、やられるのは見てられない。

しかし、そこは我慢です。
ぐっとこらえるのです。

戦い、やられて初めて自分の力がわかるのです。発見があるのです。
もし、戦う前に助けに行ったら、その子はいつまでたっても自分が「弱いヒーロー」ということに気がつきません。
風車に向かって戦いに挑むドンキホーテのように、自分を変に過大評価することになります。
戦いに敗れ、自分の至らなさを感じることで、「成長したい!」「もっとガンバろう」と思うようになるのです。

“介入”とは、その貴重な機会を奪うことになってしまいます。
では、あなたにできることはなんでしょう?
ただ、やられるのを黙ってみているだけなのでしょうか?

いいえ、ちがいます。

あなたにできることがあります。
いや、あなたにしかできないことがあります。

それは、子どもが助けを求めたときに速攻で駆けつけることです。
「助けて!」と言ったときに、誰よりも早く子どもの元へ行くことです。

戦いへ向かうとき、小さな声で言う「こ。。。こわいよ。。。」という声をキチンと拾ってあげることです。

「つらかったら、しんどかったらいつでも戻っておいで!怖くなったら帰ってきてもいいんだよ」と、声をかけてあげることです。

 

大事なのは、2つ。

1つは、子どもが「怖いよ」と打ち明けられるような空気感を作ること。
「絶対に勝つまで帰ってくるな!」と言われると、決して弱音を吐くことはできません。
「自由にしてもいいんだよ」と言われても、なんか相談しにくい。しんどいと口にしにくい。

見ているし、いつでも受け止めるよ!というメッセージを発することで、安心できます。

もう1つは、ヘルプのメッセージに気がつけること。
ただ見ているだけでは、見逃すこともあります。
ボコボコにされて声を出せないかもしれません。
そんなとき、気にかけ、しっかり見ておかないと、「助けて」と言っているのが聞こえない、気が付かないことがあります。それでは、決して“きちんと見ている”ということにはなりません。
イメージとしてわかりやすいのは、常に子どものそばで手を差し伸べている感じです。
決してこっちから、触れない、止めない。
でも、子どもが握ってきたら全力で引っ張る。救い出す。

それが、なによりも子どもへの関わりで大切なのだと僕は思っています。
大人から見たら、か弱い子どもたちは、とてもとても弱いヒーローです。
しかし、子どもたちは「自分はヒーローなんだ」と自負しています。

勇気を持ち、戦いへ出してあげてください。
ボロボロになることもあると思います。

でも、戦いを通して子どもたちは強く、たくましくなります。

「助けて」とこっちを見てきたときだけ、優しく手を差し伸べてあげたら良いのです。
戦う前に助けに行く必要は、ありません。

呼ばれるまでは、ただ、じっと我慢です。

気が付けば、あなたが思っているより、もっともっと強いヒーローであることに気がつくでしょう。

「ああ、こんなに強かったのか」と、きっと思える日が来ます。

そんな日を楽しみに、不安な気持ちと期待する気持ちをもち、子どもたちを見守ってあげてください。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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