「なぜ?」と言う問いを立てるということ

子どもたちが理解して先に進むパターンは大きく分けて2つあるそうです。
ひとつは、「なぜかがわからないと先に進めない」場合。円周率が3.141592…と続くのはどういう理屈なのか?本能寺の変が起こった原因は何なのか?と言うことが分からないと、学習したものが身につかなかったりする、ということです。
そしてもうひとつが、「何に役立つかわからないと先に進めない」場合。円周率が3.141592…と続くのはわかるけど、それを何に応用できるの?本能寺の変があったことは理解するけど、それがどうしたの?と言う疑問が解消できないと先に進めないパターンです。
僕は前者でした。
小学生のとき、クラスのスローガンに「一人一人」というフレーズを入れることになったとき、「全校スローガンは『一人ひとり』と言う表現なのに、なんでうちは違うんですか?」と質問したことがあります。しかし、「全校は全校、クラスはクラス」という非常に腑に落ちない返答をされたままそのまま決議へ移りました。
もちろん、クラスに何十人もいる訳ですから、一個人の小さな疑問をいちいち解消していくとキリがないことは理解しています。だけどそのときの僕はクラスから除外されたような、誰も自分の話聞いてくれないんだ、というような気分になりました。
大人になってからも、「なぜ?」を大切に。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥、という言葉もありますが、僕は大人になってからもちょっと疑問に思ったらすぐに確認するようにしています。それはD.Live内のミーティングから協働事業の打ち合わせ、TRY部での授業まで、どこでもそう。
「これ、どういう根拠でそう言ってますか?」
「~って書いてありますけど、もしこういうことになったらどうしますか?」
「こういうことを思ったって振り返りに書いてあるけど、それはどうして?」
僕がこうしてなぜ?と言う問いを立てるのには自分の疑問を解消するためもあるのですが、先方(相手)に改めて確認してもらいたかったり、これを聞けば先方が抱えている疑問の解決の糸口になるんじゃないかな?という思いを込めて問うこともあります。
学校現場にしろ、家庭にしろ、闇雲に叱るのではなく「なぜこの子はこんな行動をしたのだろう?」と問いを立てるか立てないかによって、子どもの反応は大きく違います。なぜかが分からないまま問題行動を注意しても、「なぜそうなったのか」が解決できない限りは単なるいたちごっこでしかありません。
有名なものに、トヨタ自動車が編み出した「なぜなぜ分析」という分析手法があります。とある部品が足りなかった。それは何故?作業員が確認を怠った。では確認を怠ったのは何故?というように、ある事案が起こった理由が何故かを5回突き詰めて考えると、そこに潜んでいる本当の原因に突き当たる、というもの。
「なぜ?」を追究するということは、とても大切なこと。今後も「なんでそうなったんですか??」を軸に、問いを立てつづける姿勢を崩さないようにしようと思っています。
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