なぜ、教師は生徒に手を出してはいけないの?

この間、ちょっとびっくりする投稿をFacebookで見かけました。

それは、校則違反を犯した生徒に、指導のために一発平手打ちを見舞った教諭が、教育委員会から処分を受けたという新聞記事。キャプションには「こんなことで処分受けるなんてありえない!」ということが書いてあったのですが、問題はここから。

その投稿についていたコメント約200件が、すべて

「同感!なんで先生が処分されるの!」
「昔は教師に殴られて当たり前だったんだけどなあ」
「どう考えても生徒の方がおかしい」
「自分が親なら先生に『ありがとうございます』ってお礼言ってますよ」

という趣旨のコメントで埋め尽くされていて、「この処分は当たり前でしょ」という肯定的なコメントがほぼ無し。きっとこの処分を肯定するコメントは、誰かの手によって削除されていたのでしょう。

うーん?と僕は思わず首をかしげてしまいました。

そもそも、体罰は学校教育法に違反している

昭和22年に施行された学校教育法の第1章第11条において「体罰を加えることは出来ない」と明記されています(参考)。つまり、戦後すぐから、学校現場において体罰、生徒に教師が手を出す行為は明確に禁じられています。もっといえば、1879年の教育令から体罰を禁じる条文は存在していました。

先ほどの投稿に「自分の昔の頃は・・・」「竹刀で先生に殴られたけどね」と昔語りする人も多く見受けられたのですが、これも実はアウトなのです。いくら生徒の為になったとしても、生徒側に大きな過失があったとしても、いかなる理由であれ殴った教師は法令を犯していることになり、何らかの処分が下す必要がある、ということです。

それでもなお、「誰かに殴られて当たり前」だと思って育ってきた人も一定数いる訳ですし、今の教師が生徒を手を出して教師が罰を受ける現状に怒りを覚える人がいるというのも、残念ながら事実です。では、こんな視点から考えてみましょう。

なぜ、教師は生徒に手を出してはいけないの?

おそらく、日本全国の学校や教育現場で散々話し合われてきたテーマだと思います。そして、さまざまな意見が飛び交ったテーマでもあると思います。

僕は、「何か問題が起こったときに、『手を出す』という選択肢があることを教えないため」だと思います。

そもそも、「手を出す」ことですべて解決できると思ったら、それは大間違いだと思います。それに、教師が生徒に手を出すことが肯定されると、いくら人目から離れた場所でも生徒は何事も最終的に手を出せばなんとかなる、という認識になりますし、そういった考えがあっという間に広がることになります。

これは、ほんとうに悲しいことだと思います。

実際に、法務省のサイトには、体罰が容認されることによって児童生徒のいじめを誘発、助長し、それが引いては不登校の原因になると警鐘を鳴らしています(参考)。いくら生徒のためを思って体罰に及んでも、万が一それで相手が負傷すれば、それは立派な「傷害罪」。つまり、警察に通報されれば逮捕される可能性もあります。

そもそも、体罰では何も解決していない

先述しましたが、例えば何か生徒が問題を起こして指導をする際、何を言っても生徒が聞かないと言って手を出したところで、実は何も問題解決には至っていません。ただ一時の罰を与えただけであり、何故その生徒が問題を起こしたのか、何故その生徒は話を聞かないのか、理由がわからなければただのいたちごっこです。

これは家庭でも一緒で、しつけと称して子どもを叩く行為も、ただの一時の罰です。もちろんそこで子どもがケガしたら責任を問われるのは何よりも親自身です。一時の感情で手を出しても、何もいいことは無いのです。

もちろん、「体罰がいけない理由」はほかにもたくさんあります。もしかしたら僕も気付かなかったような驚く理由もあるかもしれません。ひとりの教員を目指す者として、これからも何故体罰がいけないのか、体罰に頼らない教育の在り方、を考え続けていきたいと思います。

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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