子どものココロVol.2―2学期、学校が楽しくないあなたへ。

9月が始まり、大方の学校ではすでに2学期に入りました。久々に友達に会えてうれしいと言う人、毎日家で退屈だった日々が終わって学校が楽しい人もいますが、2学期が始まってからなんか学校が楽しくない、馴染めない、と思っている人もいると思います。
僕は中学時代、不登校でした。そのときの話はもう何度もこのブログでしています。でも、実は小学校の頃からあんまり学校が楽しくありませんでした。放課後遊ぶ友達はいたけど、学校と言う雰囲気や環境に馴染むのが苦手でした。
それでなんとか学校を休もうと、寒い冬のある日、もう風邪を引いて無理やり休むしかない、と裸になって寝たこともあります。でもそんな容易なことができるはずもなく、結局朝起きてもしんどくも熱もなくて、沈む気持ちで登校班の集合場所に歩いていきました。
「行きたくない」のなら、行かなくていい。
結局、僕が学校に行かないという選択を取ったのは、中学校の入学式の1週間後でした。
これは、正直ものすごく勇気がいることです。いくら学校に行くのが嫌だとしても、どこか心の底であの場所を「居場所」だと思っている自分がいます。その居場所を自ら手放すということは、この世の中にどこにも居場所がない、と言う現実を突きつけられた気がしました。
あの頃の僕は本当に心がボロボロでした。学校に行くのが嫌、でも行かずに家に1日いるのも嫌。でもどちらかといえば学校に行く方が嫌だから学校に行かない、という思いでした。そう、僕はそのとき「居場所は家か学校の2択」と思っていたわけです。
実際は、そんなことはありません。探せばいくらでもあなたにとっての「居場所」となるところが存在します。それはひょっとしたら毎日行ける場所ではないかもしれません。週に1度だったり、月に1度だったり。それでも、理解ある大人がいて、学校以上にその場所が楽しいのなら、良いことです。
この間、神奈川の鎌倉市図書館のツイートが話題になりましたが、僕も大学で居場所を見つけられなかった頃、よく図書館の窓際の雑誌コーナーで、野球雑誌が無いから、と特に興味もなかったサッカーの雑誌を読みふけっていました。今よくサッカーゲームで遊ぶのはその影響かもしれません。
僕は中学の最初で不登校になってから、市の適応指導教室に夏の終わりくらいまで通って、その後はずっとフリースクールにいました。適応指導教室もフリースクールも少なくとも学校よりかは心が落ち着く場所でした。そこで自分を取り戻して、今こうして生きています。
「この経験」は、いつか必ず生きてくる
なぜ僕がこんな文章を残しているか。
それは、今この瞬間、僕のように「学校に行けない」ことに悩んでいたり、「学校に行きたくない」と思っていたり、この世界にどこにも居場所がない、と感じている人たちに、「大丈夫だよ、いつか必ずこの経験が生きるときが来るよ」ということを伝えたいのです。
僕自身、中学の頃はたくさんの人に迷惑をかけて、本当にしんどい思いをして生きてきました。でも、高校生になってしばらくしてから、「同じように悩んでいる人がいるかもしれない」と思うようになって、そういう人の力になりたい、という気持ちで大学も選びました。
前にも書きましたが、僕は「学校が嫌い」とは、数学が苦手、国語が得意、ピアノを弾くのが好き、と言うように、ひとつの個性だと思います。自分にとって学校が合わない、同級生が嫌、というのもひとつの個性だと受け止めると、少し楽になれるかもしれません。
明日は木曜日。とりあえず金曜日までもうちょっと頑張ってみようかなと思う人も、この2日間でもう限界だという人も、どうか、どうか、「居場所は家と学校だけではない」、心落ち着く場所はどこにでもいくらでもある、ことを忘れないでいてください。
「学校なんて行かなくてもいいよ」と言える勇気を。
そして、これを読んでいる親御さんでもしも自分のお子さんが「学校に行きたくない」と言い出したり様子がおかしいと感じたら、迷いなく「学校から逃げる」と言う選択肢を示してあげてほしいと思います。その一言が、悩み苦しむお子さんを勇気づけ守ることになります。
僕自身、居場所がなくなるということもそうでしたが、それ以上に家族に対する恐怖がありました。本当に行きたくないのに、ずる休みだと思われたらどないしよう、と言う気持ちがいっぱいで、小学校の頃はとても学校が嫌とは言い出せませんでした。
最初は「1週間だけ許す、それ以降はちゃんと行きなさい」と言っていた両親も徐々に不登校に対して理解を深めていき、今では不登校の子どもを持つ親御さんの相談に乗ったり、むしろ僕が不登校になって新たな視点ができた、とたまに感謝されるようになりました。
勉強とか、学校生活とか、後のことは今考えなくてもそのうちどうにかなるものです。再び学校に復帰するかもしれないし、まったく別の居場所を求めるかもしれない。なによりも大事なのは、苦しんでいる今この瞬間に手を差し伸べることです。
登校を渋る子どもを嫌々学校に行かそうと追い出すのは、その子どもから「居場所」を奪い取るのと同じことです。なぜ学校が嫌なのか、学校外の居場所は他にないのか、色んな可能性を探りながらきちんと寄り添ってあげてほしいな、と思います。
末筆ながら、僕がこれまでここで書いてきた不登校関連のエントリを残しておきます。
『不登校だったぼくが、今この瞬間を生きるまで』前編 後編
『親の愛情を感じたときVol.2―10年越しに気付いた母の「懺悔」』
「僕が学校と言う環境に馴染めなかった理由」
また、D.Liveが運営している「TRY部」にも、学校が苦手と感じている生徒が毎週元気に顔を出してくれています。TRY部の見学・相談は随時受け付けておりますので、詳しくは下記のリンクをご覧ください。
http://www.dlive.jp/#!dlivetop/c18j2