定期的に自尊感情記事を25件投稿して思ったこと

「来月から、自尊感情について毎日記事書いていきましょう!」
「4月末までに100記事、頑張って書きましょ!」
会議でこんなことになったのは1月末のこと。4人で回すので、3か月で25件もの記事を書くことに。
不登校だったり通信制高校に通ってたりで時間に余裕があったころ、ネットが居場所だったこともあり毎日のようにブログを書いていました。くだらない話からその日あったことまで。だから文章を書くのはそんなに苦ではありません。ですが、「何か一つのテーマについて」長期間書き続けるのは初めての経験でした。
しかも、自分の強い分野で書いていくならまだしも、いまいちよく分かっていない自尊感情と言うジャンルに、「こういう人(ペルソナ)がいると仮定して」書く。そのうえ中3日で。野球の先発ローテーションよりも短い間隔。考えていくうちに4月末が遠くなっていきます。これは完走できるのだろうか・・・?
不安を抱きながら100記事への挑戦が始まりました。最初の方こそペルソナを意識していましたが、意識するにつれて書くネタが浮かばないことが多くなり、あるとき敢えてペルソナは無視して書くことを決めました。その代わり、ぼくも分かっていないので読者の皆さんと一緒に考えていきましょう、と言う立場で書いていくことにしました。
実際、最初の方は「それはちょっと説明につじつまが合ってないよ」と指摘された記事もありました。その度に自信がないというのはどういう状態か、を改めて確認しなおして、また身近に溢れている自尊感情や自信がないことを書いていきました。
そのためか、これまでにぼくが投稿した25記事はどちらかといえば社会的な話が多かった気がします。
「注目してほしい」未成年と自尊感情(2/7)
「子どもは地域の中で育てる存在」という概念が、消えようとしている(3/19)
「大地震の予言」から考える、後悔のない生き方(4/16)
たとえばこれらの記事は、その当時ニュースで話題になっていたものをピックアップしたもの。おかげで、少年犯罪や凶悪事件などで、これまで被害者視点でしか考えてこなかったところを、「どうしてこんなことをするんだろう?」と加害者や犯人視点で考えることも多くなりました。この3か月間で一番変わったことかもしれません。
意外とネタの宝庫だったのはSNSを利用していての話。普段よくTwitterやFacebookを眺めていることが多いのですが、下記のネタはそれらの投稿からふと思いついたネタです。
「私よりこの人の方が劣っている!」―「炎上」させる側に隠された心理(2/23)
あなたは「他者の人生」を生きていませんか?(4/4)
「どうでもいい」と思ってることは、実は「どうでも良くない」!?(4/12)
これらは自分もSNS上でたまーにやってしまいがち。自戒を込めて書きました。
不登校だったぼくが、今この瞬間を生きるまで(前編)(4/21)
不登校だったぼくが、今この瞬間を生きるまで(後編)(4/21)
自分の中学・高校での経験は、いつかはしっかり書いておきたいと考えていました。学校に行ってなかったときのことをこうして文章化して、人様に読んでもらうという経験は実は初めてだったので、更新通知を流したもののどこかで怖さを感じていたのですが、びっくりするくらいの反響がありました。書いてよかった、と思いました。
「自尊感情」という言葉はまだまだ認知されているとはいえないワードです。しかし、この3か月自尊感情や自信がないことをテーマに定期的に文章を書いていると、本当にごくごく身近に自尊感情や自信のなさが顕著に表れている瞬間ってたくさんあるんだなあ、と気付かされました。
毎日投稿が始まってちょうど3か月、ぼく自身の25記事目の節目に色々と振り返ってみました。今後もまた、まだ気づいていない身の回りの「自信がない」ことを見つけ出して記事を書いていこうと思っています。