「どうでもいい」と思ってることは、実は「どうでも良くない」!?

たまーに、Twitterを見ていると、昔好きだったであろう何かについて「どうでもいい!」「もう興味ない!」とつぶやいている人がいます。そんなツイートを見る度に、ぼくはこう思うのです。

本当にどうでも良かったら、そんなこと気にならないはずなんだけどなぁ・・・

例えば、好きなアイドルへの熱が冷めてしまって、もう興味がない、どうでもいい、と何度もつぶやいていたとしましょう。本当に関心がないのであれば、そのアイドルへの思いをつぶやくことはまず無いはずです。ならば、口では「どうでもいい」とは言っていても、本心ではどこかでまだそのアイドルに関心を寄せているのではないでしょうか?

これ、「自分の本心に嘘をついている」と表現できますね。

ひょっとしたら、そのアイドルにどうでもいいことに対して共感してほしい、ということなのかもしれません(以前にこの話題を持ち出したときにそんな意見が出ました)。確かに共感してもらうことで「あの人への熱が冷めて正解だったんだ、間違ってなかったんだ」というある種の自信が芽生える、という説明もできます。

ところがこれには裏があって、共感してもらっている時点で、共感している側もそのアイドルにまだひそかに関心を寄せているという考え方ができます。繰り返し書きますが、本当にどうでもよくなったのであれば、どうでもいい!ということに共感すらしないはずなのです。共感している側もまた、嘘をついていることになりますね。

他人にアイドルの話を振られて、「最近なんか冷めちゃったんですよねー」と言うのはまだ自然です。しかし、誰も何も言っていないのに「自分はあのアイドルなんてもうどうでもいい!!」って言うのは、それほんとはまだそのアイドルに関心寄せてるんでしょ?と見られているかもしれません。

Twitterに限った話ではありません。最近ではYahoo!ニュースなどで誰でもコメントが寄せられる機能がありますが、そこで「どうでもいい」とか「興味ない」とコメントしている人にも同じことが言えます。もっとも、こちらでは「どうでもいいならコメントするな」と反感を買うことが多いようですが。

「そのアイドルにまだ関心がある」という自分を受け入れよう

心の中では本当はまだ未練があるのに「あんなものどうでもいい」と言ってる人、そろそろしんどくないですか。自分に嘘をつくのをやめて、やっぱり自分はあのアイドル、趣味に関心があることを認めてあげるのが大切なのかもしれません。

むしろ、関心が持てていること、打ち込めていることをプラスにとらえるのが大事ではないでしょうか。これは自分にも経験があるのですが、趣味に対して熱が冷めていく瞬間は、案外アッサリとしています。どうでもいいどうでもいい、と思っている間は熱を冷まそうにも冷めることは無いんじゃないかな、と思います。

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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