罪悪感を否定された瞬間、僕は学校に信頼をおけなくなった。

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僕が最初に入学した高校を辞めるきっかけになったのは、入学後すぐの宿泊研修でした。

お楽しみ会のあとに必ず態度を全員叱責され、生徒指導の教師がマイクで怒鳴り散らすなど、とにかく「生徒を上から押さえつける」教育に地獄を見た僕は、途中で帰らせてほしいと申し出ました。しかしそれを学校側は許してくれませんでした。

そもそも担任から「しんどかったら途中で帰ってもいい」と言われて参加したこの宿泊学習。何人もの教師に取り囲まれ、ほかの客も通り掛かる旅館のロビーで2時間もの押し問答で、泣きながら限界なことを何度言っても「風呂は大浴場じゃなくていいから」とトンチンカンな答えしかよこしてくれない。

最後は校長が出てきて直接僕の意思が固いことを確認し、晴れて帰れることになったものの、僕の心の中はまったく晴れやかではありませんでした。

しばらくして旅館に家の車が到着し、担任が玄関まで送ってくれたのですが、その途中僕は担任に「すいません」と謝りました。

担任の返事はこうでした。

「謝るなら、最後までいろよ」

・・・この瞬間、僕、そしてそれをそばで聞いていた家族は、この学校への信頼を一気に失くしました。

僕はあの夜、旅館のロビーで、そのときハッキリと抱えていた「罪悪感」を、担任に真っ向から否定されました。

前述したように僕は2時間、時折涙を流しながら、人通りもある旅館のロビーで何人もの教師に囲まれながら押し問答を繰り広げていました。その様子は他の客にとってみれば異様なものだったでしょう。しかもそのとき着ていたジャージには名前も入っているわけです。

それはそれは屈辱でした。「この学校は、自分のことを問題児扱いしている」としか思えませんでした。

でも僕はそんな状況でもなお、学校に対して罪悪感をもっていました。

実はもう入学式前の事前研修からこの学校の異様さを感じ、3年間きちんと通えるのかどうか不安だった自分もいました。それでもなお、担任は「しんどかったら途中で帰っても」とここに来るように期待していた、そんな側面も十分汲み取っていました。

その担任の期待に、僕はうまく応えることができなかった。そして何より、ぐつぐつと煮えるすき焼きを目前にして「もう限界です」と告げたあと、いろんな先生方に多大な迷惑をかけている、という気持ちも大きかったのです。

そんな思いで、「(途中で帰ることになって)すいません」と担任に謝ったのに、担任は冷たく「謝るなら最後までいろよ」と突き放した。この学校に居場所はないと悟った瞬間でした。

余談ですが、このやり取りを横で聞いていた母は、後日「その言い方はないんじゃないですか?」と担任に文句を言ったそうです。僕はその母の事後報告を聞いただけでも、すごく救われた気分になりました。

多くの子どもたちは、学校にいけなくなった自分を責め、罪悪感を抱いています。「学校には欠席をしないで行かなければならない」という「義務」の意識が小学校に入学した時からすり込まれており、大事なその「義務」を果たしていない後ろめたさを感じずにいられないのです。

(中略)

また、子どもたちは自分が親を苦しませ悩ませている、家の中を暗くしているとわかっていて、責任を痛感し、申し訳ない気持ちでいるのです。自分が学校に行かなくなってから家の中の空気が一変して暗くなったことを、子どもたちは敏感に感じています。

引用:田中登志道(2009)『不登校からの出発』佼成出版社 P25

不登校の子どもたちは、本当に些細なところまで日々罪悪感とともに生きています。

「学校へ行けない」ことで、家族のみならず先生や学校に対して迷惑をかけている、と自分で自分を責める子どもたちも数多くいます。しかし、そんなときに「だったら学校へ行けばいいじゃないか」というセリフは、間違っても言ってはいけない一言です。

それができないから、子どもたちはものすごい罪悪感を背負っているのです。

学校へ行けない、言い換えればみんなと同じことができない自分は、学校や先生に余計な手を煩わせている。こう思うと、ますます不登校の子どもたちは学校に対して罪悪感を抱きます。まさに、僕が高校1年のあの夜、宿泊研修をリタイアする瞬間に思っていたことです。

そんな気持ちを、真っ向から否定したら、どうなるでしょうか。

余計に自分のダメなところを指摘されて劣等感を抱いたり、ますますその子どもの自己肯定感が削がれてしまうでしょう。僕も件の担任の一言は、ずいぶんと長い間引きずっていました。希望に溢れた高校生活がたった一言で握りつぶされたような気がして、その後2ヶ月近く引きこもる日々が続いたのです。

たとえ抱える必要のない劣等感であっても、それを真っ向から否定してはいけない。

これは、学校や先生、そしてなにより家族もきちんと心がける必要のあることだと思います。

上記で引用した文章の中にもありますが、不登校の子どもたちは学校に行けないことで家族を悲しませている、暗い顔をさせている、と思うことが本当によくあります。それが明らかな誤解であったとしても、子どもたちはなおお父さんお母さんの顔が暗いのは自分のせいだ、とどこまでも責任を負います。

そんなときでも、努めて柔和に、やさしく、仮に本当に暗い顔だったとしても「それはあなたのせいではない」ということを指摘してあげてほしいと思います。罪悪感を真っ向から否定した瞬間、子どもたちは一気に大人への信頼を失っていきます。これは、本当に悲しく、辛いことだと思います。

子どもたちが少しでも「罪悪感」から逃れられるような関わりを意識する必要が、大人の側に求められていると僕は思います。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。