社会で活躍するのに、「不登校」なんて肩書は必要ない

先日、プロ野球・北海道日本ハムファイターズの石井裕也投手が引退するにあたり、本拠地の札幌ドームでセレモニーが行われました。石井投手はもともと先天性難聴を抱え、補聴器が手放せない中で10年以上プロ野球で活躍し、その名も「サイレントK」というニックネームで親しまれた選手です。
このセレモニーで、かつて中日ドラゴンズでともにプレーした谷繁元信氏のメッセージに、僕はとても共感しました。
彼はハンディを背負っているというところからのスタートで、でもプロ野球に入って、さぁマウンドに上がりました、もうこれでプロ野球選手なんですよね。だから本気で、建前の話じゃなくて、本気で僕は接しました。
たとえ難聴を抱えていても、プロとしてマウンドに上がった以上、目の前のバッターをきちんと抑えられなければ話にならないわけです。そこでうっかりホームランを打たれてチームが負けてしまうことがあれば、どんなハンディがあったとてその選手の責任になってしまいます。
谷繁氏は彼に難聴があることを承知の上で、あえて「プロとして」妥協せずに、本気で接していたというわけです。
この視点、とても重要なことではないか、と映像を観ていて感じました。
と、いうのは、僕自身が教員になって一番痛感したことと似ていたからです。
僕は勤務先の学校では、自分が中学3年間不登校だったことは一切話していません。もしかしたらいっしょに働いている同僚の先生方の中にもこのことを知らない方もいると思います。別に「自分学校行ってなかったんだよね~」と言いたくないわけではないですし、聞かれたら話すつもりです。
ではなんで話していないのかと言えば、それを話したところで別になんの意味もないからです。
たしかにこのことをカミングアウトすれば生徒の共感や肯定があるかもしれません。もしかしたらそれをきっかけに生徒がいろいろと悩みを話してくれるかもしれません。が、生徒と関係を築くには別に「不登校の経験」以外にも手段はたくさんありますし、きっと一時だけですぐ話が終わると思います。
それに、校内でネクタイを締めて、名札を首から下げて仕事している限りは、僕はひとりの「教員」です。ほかの先生方、たとえば勤続何十年のベテランの先生と同じレベルの仕事が要求されます。「不登校の経験があるから」と言って免除される仕事なんて、ここにはありません。
自分の担当教科だけ生徒の成績がよくなかった。授業の出席率が悪い。生徒からの人気がない。授業外の教務に手を付けない。これらは、「あの先生、昔不登校だったからしょうがないよね」という話では済まされない問題です。こんなことが続けば、近い将来職員室から自分の席がなくなることは確実でしょう。
「不登校のことを学校で話しても、別になんの意味もない」というのはこういうことです。これは、さっき石井投手のセレモニーで谷繁氏が話していた「どんなハンディがあっても、マウンドに上がればプロ野球選手」ということとまったく同じです。
「不登校だから、しょうがないよね」が通用しない世界。
これは、いま不登校の当事者からすれば、もしかしたらとても荷が重く感じられるかもしれません。15年前、不登校真っ只中だった僕が聞いても、たぶん気が重くなっていたと思います。
が、今ならば、これは不登校の子どもたちにとって大きな「チャンス」ではないかと思うのです。
「不登校だから」という理由で、たとえば絵のコンクールの入賞を取り消された例なんて聞いたことがありませんし、もしあったとしたら大問題になるはずです。ということは、逆に言えば「絵を描くことが大好きな不登校の生徒」がこの絵のコンクールで入賞すれば、それはものすごい自信になるはずです。
もちろん、「この子は不登校だから甘めに採点してあげよう」ということもありません。しかし、なにかひとつでも作品を出展してそれが高い評価を得られれば入賞する。そこに不登校かそうじゃないか、という見方は関係ありません。純粋に、作品の出来ひとつで決まります。
コンクールに限りません。大きく言えば、社会全体は不登校の子どもたちに「平等なチャンス」を与えています。不登校や引きこもりの経験があって、いまテレビで見ない日がないほどの活躍を見せている芸能人もたくさんいます。ほかの業界や世界でも、不登校経験者が大活躍している例が数多あるでしょう。
文章、イラスト、写真、プログラミング・・・いまは、多種多様な手段で自分の能力を表現できる時代になりました。学校の勉強ももちろん大事ですが、学校に行っていても行っていなくても「自分」を思い思いに表現して、それを高く評価してもらえる、素晴らしい時代だと思います。
「学校に行っていない」ことに引け目を感じる、いま不登校の子どもたちはとっても多いと思います。
僕もそうでした。
でも、生きていればなんとかなるな、と、学校の先生とNPOの二足のわらじを履いていて感じます。
不登校だ(った)からという理由で不安になることは今もあります。これできないな、と感じることもあります。たぶんこれは僕が死ぬまでいろいろと出てくるでしょう。だけど人生は一度きりですが一本道ではありません。学校に行っていなくても、なにか不得手なことがあっても、それを避けていくことはできます。
自分の得意なこと、自信のあることをぐんぐん伸ばしていけば、きっと社会で大活躍できます。
そこに、不登校なんていう肩書は必要ありません。「ハンディ」でもありません。
僕はこのことが、もっともっと世の中に浸透していけばいいな、と思います。
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