なぜ、この教室は不登校の生徒が『ひとり旅』へ行くまでに成長するのか?

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僕たちがおこなっている教室(TRY部)で、学校へ行けていなかった男の子(当時 中学3年生)が長野県へひとり旅に行った物語。

お母さんに引き連れられてきた彼は、少しけだるそうだった。
学校にはあまり行けておらず、勉強を補うために行っている塾も休みがちだという。

授業見学のあと、「しばらく通わせてみます」ということで、翌週から教室へ来ることになった。

はじめは、なかなか馴染むことはなく、気が向けば授業に参加するという感じ。
けれど、「授業に参加しなさい!」と注意することは決してしなかった。
「 どう?」「やってみる?」と聞いて、「ううん」と言えばそのまま。
ほとんど他の生徒と関わることもなく、なにもしないまま帰宅することもあった。

授業がはじまる前の雑談を通して、少しずつ彼がわかるようになってきた。
打ち解けるにつれて、だんだんと授業に参加するようにもなる。
けれど、「書くのが嫌いだ」と言い、TRY部がいつもおこなっている振り返りや計画には取り組まなかった。

「なんでイヤなん?」と聞くと、「書くのめんどくさいねん」とのこと。
ならば「思ったこととか考えていることを話してくれたらいいよ!」と言って、書くことを無理強いすることはなかった。

「じゃあ」ということで、少しずつ少しずつ授業に参加する頻度が増えていく。

学校や家庭だと、どうしても強制する必要はあるかも知れない。
けれど、ここ(TRY部)はそことは違う。

ちゃんと子どもが「ここにいてもいいんだ!」と思える居場所を作ってあげたい。

話しを聞いてくれる。
わかってくれる。

「どうせ誰もわかってくれない」と、大人に対して諦めを抱いているかも知れない子どもたちの心の拠り所であろうと思っている。
だからこそ、「イヤだ」「やりたくない!」と自己主張する彼に対しては、その気持ちを尊重してあげたかった。

すごいなぁと思うのは、そんな彼を取り巻く生徒たち。

僕たちのやり方をわかってかいないのかわからないけれど、その子に対して強制することはない。
彼が授業に参加し、なにか発言をすると、優しく受け入れる。

「キミはここにいてもいいんだよ」と、生徒たちも言葉にならないメッセージを彼に送る。

数ヶ月がたつと、さも当たり前のように授業へ参加するようになった。
自分をだんだん出すようになり、笑顔もよく見られるまでに。

教室内では、楽しく過ごすことが出来た彼だけれど、相変わらず学校へは行けない日々だった。

「どうして学校へ行けていないのだろう?」と疑問に思っていたとき、お母さんに、「進路が心配なんです。どうしましょう?」と相談をいただいた。

良いタイミングだったので、彼と2人きりになり、2時間近く話しを聞いた。

諭す気持ちも、叱る気持ちも、励ます気持ちもなかった。

ただ、知りたい。
彼を困らせている、彼の中にある大きなしこりは、いったいなんなのか。
ただ、疑問だった。

小学生の面倒を見て、後輩にもアドバイスを送る”良い奴”な彼が、なぜ学校へ行けていないのか。

いじめられている様子もない。
先生がすっごくイヤというわけでもない。

なぜなのか。

その疑問を紐解くため、彼と向き合い話しを聞いた。

「どうしたい?」

彼と向き合った僕は、一言目にこう聞いた。

別に学校へ無理矢理行かせる気なんてさらさらない。
彼がどう思っているのかを聞きたかった。

すると、「学校行けるようになりたい」とぼそっと言ったので、僕がやることは決まった。

学校へ行きたいけど、行けていない。
ここには、なにか彼ですらわかっていない問題がある。

それを見つけ出そうと思い、様々な質問を投げていく。

嬉しいこと、好きなこと、得意なこと。
大切にしていること。

価値観や特性を割り出し、仮説を立てていく。

まるで医者が診断するように、1つ1つ聞いていく。
腹痛の原因を探るように、彼の中にあるもやもやを探していった。

1時間以上話を聞いたとき、1つの答えが見えた。

彼に合っているかを確認すると、「ああ、それやわ」と、ずっと長いこと喉に詰まっていた骨がとれたときのように言った。

端的にまとめると、彼はサービス精神の塊だった。常に人の役に立ちたいと考える。
クラスの子に話しかけても、自分が全く話題がなければ申し訳ないと思い、なかなか声がかけられず、クラスになじめなかった。

音楽の授業で、みんなの前で歌うのがイヤだった。
先生が「歌わなくてもいいから授業に出てくれたらいいよ」と言ってくれたものの、彼は先生のためにも授業で歌いたかった。
けど、出来ない。だから、休む。

そんな構図。

彼自身ですらその構造は気がついていなかった。
この説明に合点がいった彼は、「そういうことかぁ」と言いながら深くうなずいていた。

原因はわかった。
次は、対策。

「どうすればいいと思う?課題なにかな?」

すると彼は戸惑うことなく、「コミュニケーション能力」と答える。

友達と仲良くなりたい。
誰かの役に立ちたい。

その気持ちは変わらない。
ならば、自分がもっとうまく話せる、誰とでも話せるようになれば問題は解決する。

そう彼は話してくれた。

 

後日。

僕が提案したのが、ひとり旅だった。
人と関わる環境を強制的に作ることで、なにか得られるものがあるのではという考え。

ただ、正直に言うと、彼は気乗りしないのではと思っていた。

確認のため事前にお母さんへ伝えると、「息子が行くというなら大丈夫ですよ」とのこと。

授業の前、あたかも思いついたかのように、軽く彼に提案してみた。

「え〜、いいわ」と言うのだろうなと思っていたら、「考えてみる!」と言って、ひとり旅のアイデアを考え出した。

 

そこから1ヶ月近く。

スタッフと一緒になりながら、計画を立てた。
はじめは、東京や石川という候補が出てきたものの、最終的には、自分が好きなアニメのモデルになった神社がある長野県に。

 

当日。
「予定通りの電車に乗りました」との連絡をお母さんからいただき、ドキドキしながら、成功を祈る。
携帯電話も地図も持たずに彼は、滋賀県から長野県へと向かった。

授業の日。
旅から帰ってきた彼は、顔が変わっていた。

撮ってきた100枚近くある写真をひろげて、1枚1枚説明をしてくれた。

泊まったゲストハウスで日本人が自分一人で、同室がオーストラリア人のカップルで気まずかったこと。
目指していた神社と違う方向へ行ってしまって迷ったものの、丘から眺めた湖の様子か素晴らしかったこと。

今まで見たことがないくらいの嬉しそうな顔でどんなことがあったのか彼は興奮気味に話す。

そして、1冊の手帳を見せてくれた。
そこには、たくさんの人たちのコメントが書かれていた。

行く前、1つの課題を設定。

あくまでも目的は、「コミュニケーションの上達」であり、いろんな人と話すこと。
だから、旅のときに、誰でもいいから手帳に応援のコメントをもらうことを話し合って決めた。
「10人くらい?」と聞くと、「いや、15人聞いてくる!」と言い、実際に15人以上の人たちにコメントをもらってきていたのだ。

電車の中で出会った人、お店のおばちゃん、道を教えてくれたおじさん。

たくさんの人に自分がひとり旅をしていることを伝え、応援のコメントを書いてもらっていた。
「あの旅に行ったことで自分は変わった」と、旅から1年近くがたち、高校生になった彼は話す。

「やりたいこととか好きなことがあっても、親には言われへん。言って否定されたらツラいし、『お前にはムリだよ』と言われたような気持ちになってしまうねん。
なにより、どうせ許してくれへんやろうって思ってた。

『そんなことよりも勉強しなさい!』って言われるやろうなって。
けど、お母さんにスタッフの人が話してくれて、行けるってことになった。

自分1人やったら親に言うことは出来ひんかったし、行こうとも思えへんかった。
やっぱり、味方がいてくれるとガンバれる。

大人の味方がいたことで、お母さんもOKを出してくれたと思うし、一歩踏み出すことが出来た。

やっぱり大きかったのが、1人で行ったこと。
『1人で出来た!』ってのが自分の中でほんまに自信になった。
出来るって思うことが出来たし、好きなことをやっていいんやなって思えるようになってん。」
TRY部は、通訳だ。

「なに考えているかわからないんです」と子どもとの関わりかたで悩む親御さんに、子どもたちが考えていることを伝える。
しんどさを抱えているけれど、なぜ苦しんでいるのかわからない子どもの気持ちを紐解く。

子どもがやりたい気持ちを親御さんへ伝え、「大丈夫ですよ」「成長していますよ!」と子どもの味方になることもあれば、
「お母さんがこんなこと言っていたけど、どうなん?」と保護者の代わりに子どもへ聞くこともある。

 

その象徴的な様子が、1人の中学生がおこなった長野へのひとり旅だった。
(彼の旅が終わったあと、教室ではひとり旅がブームになって、別の中学生が福岡でプチひとり旅をしたりすることになるんだけれど、それはまた別の話)

現在、高校生になった彼は、今では元気に毎日学校へ通い、生徒会とテニス部に所属し、家では小説を書くという生活をおくっている。

「夏には、島根にひとり旅へ行こうかなぁ」と話す彼の顔は、教室へ来たときの様子からは考えられないくらいに輝いていた。

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田中 洋輔

田中 洋輔

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒 好きなものは、Mac/ライフハック/ラーメン プロ野球選手を目指すも、強豪校へ入り挫折し不登校に。大学に進学するも、引きこもりになる。周りの支援で復活。「自分のようにしんどい思いを子どもたちにさせたくない」と思い、2009年、学生時代にD.Liveを立ち上げる。不登校のときの話しや自尊感情(自己肯定感)に関する講演や研修をおこなう。夢は、「能力や環境に関係なく、全ての子どもが自分の未来に期待出来る社会をつくる」こと。学生時代は、お笑い芸人として漫才をしていた過去をもつ。